北齊書卷二十 列傳第十二 張瓊
張瓊
- 張瓊、字連徳、代の人。若く壮健で武用あり魏の盪寇将軍から朔州征虜府外兵参軍、葛栄の乱に従うが栄敗北後爾朱栄の都督として元顥討伐に功あり汲郡太守。建明初め東道慰労大使・行唐県子(食邑300戸)、太尉長史、河内太守、済州刺史。爾朱兆敗後高祖に帰し汾州刺史。天平中高祖の夏州襲取に慰労大使として鎮守。周文帝に陥落され卒し使持節燕恒雲朔四州諸軍事・大将軍・司徒公・恒州刺史を追贈。
- 二子(忻・遵業)のうち忻は普泰中都督として爾朱世隆に従い魏平陽公主に尚し駙馬都尉・大将軍・開府儀同三司・建州刺史・南鄭県伯。瓊はその太盛を憂い「官爵は中庸に処すべき」と語ったが忻は豪険放縦で公主と不和になり武帝に殺害され、瓊の先見の明として評された。遵業は元顥討伐の功で固安県開国子、寧遠将軍・雲州大中正、天平中清河太守・安西将軍・建州刺史、武定中儀同劉豊に従い侯景を討つが捕らえられ、景敗北後渦陽で殺された。世宗が自ら弔問し并肆幽安四州軍事・開府儀同三司・并州刺史を追贈。