平定三逆方略聖祖仁皇帝 康熙二十年 1681年

八月辛巳朔 殉節者への恤典と武職官員の登用

  • 忠節を貫き殉死した都統王国棟に手厚い恤典を与えた。
  • 呉逆に与せず苦労を重ねながら未だ実職を得ていない武職官員を選抜登用するよう兵部に命じた。

己丑~己亥 建昌の招撫と諸路満兵の削減

  • 建昌の土司安泰寧の招撫を哈占・王進宝・杭愛に命じ、抗う場合は討伐とした。
  • 南寧駐留の兵を簡親王喇布の兼轄とした。
  • 雲南攻略が進み馬宝らも投降し戦局が好転したことを受け、四川・漢中・荊州・広西など各地の満兵を大幅に削減して還京させ、必要最小限を残す部署を定めた。

遣医と史論

  • 雲南で疾病が広がる官兵のため、太医院の医官胡養龍・王元佐を派遣した。
  • 編者は、平定は兵力だけでなく士卒への配慮によって成し遂げられるものだとし、皇帝が日頃から軍士を厚く養い、出征のたびに労苦を思って糧秣・馬具・帑金を頒賜し、将領にも常に配慮を促してきたこと、さらに雲南で水土に慣れず病者が多発した際には良医のいない現地に太医院官を急派したことを、古来稀な仁慈と称え、これが三軍の団結と勝利につながったと結んでいる。

九月丁卯以降 図海への叱責と吉哈礼の病没

  • 病没した将軍王輔臣の遺骸・家族の処遇を図海が独断で処理しようとしたことを咎めた。
  • 将軍覚羅吉哈礼は病を押して進軍する中で病没し、その兵は彰泰の統轄に移され、将軍印も彰泰が預かることとなった。

辛未 雲南省城攻略の督励

  • 長期化する包囲を憂え、戴罪の官員・投降緑旗兵にも功を挙げさせて攻城を急がせるよう彰泰・頼塔に命じた。

甲戌以降 馬宝の処刑と老弱兵の還京

  • 馬宝が京師へ檻送され、かつて呉三桂に真っ先に従い抵抗を続けた罪を問われ凌遅処死・梟示に処された。
  • 雲南の老弱・廃疾の官兵と陣没者の遺骸を京師へ送還する一方、緑旗兵六千を削減して糧餉負担を軽減した。

十月甲申以降 中甸の防守と戦後処理

  • かつて呉三桂が蒙古に割譲した中甸の防守について、雲南省城回復後に改めて議することとした。
  • 耿精忠・尚之信の旧部旗員を京師へ召還・安挿し、遅滞して援護を怠った貝子準達を鎮国公に降格処分とした。

丁酉以降 建昌駐屯の再編と雲南への財政支援

  • 四川から雲南へ向かう途上の満兵を大渡河の渡渉状況に応じて建昌・成都に振り分けた。
  • 冬季の兵站悪化を見越し、各省の銭糧を雲南へ急送させるよう厳命した。

甲辰・丁未 雲貴総督標の設置と盤江浮橋の造営

  • 平定進展を受け、趙良棟の軍の大半を陝西へ還し、雲貴総督標として一部を現地に残す体制を整えた。
  • 鉄索橋修築の遅れを受け、巡撫楊雍建に盤江への浮橋架設を急がせた。