平定三逆方略聖祖仁皇帝 康熙二十年 1681年

五月丁巳 永寧防衛と土司苗蛮への招撫

  • 総督哈占の求めに応じ、王用予に永寧への急行と固守を命じた。
  • 将軍海潮龍の進言(民心を得なければ軍糧調達も立ち行かない)を容れ、彰泰・頼塔・蔡毓栄・趙良棟に土司苗蛮の招撫・撫綏を強化するよう命じた。

庚午~辛巳 湖広・四川方面の残敵掃討と鶴慶麗江の回復

  • 湖広靖州方面へ逃れた黄明・馬承烈らの掃討を韓世琦・麻勒吉・和山・盧崇耀に命じた。
  • 趙良棟軍の糧秣不足を受け、哈占・杭愛らに輸送強化を厳命した。
  • 大軍が雲南省城に迫ると偽将軍李発美が呉世璠のダライラマへの援兵要請の偽書を暴露し、鶴慶・麗江の二府を挙げて投降した。

六月戊子以降 穆占の雲南残留と将士への恩恤

  • 楚雄で偽将軍陳光禄らが再叛したため、穆占は貴州へ戻さず引き続き雲南攻略に用いることとし、貴州・常徳・荊州の守備は他の部隊で補った。
  • 建昌衛陥落時に屈せず殉じた提督伯王之鼎・総兵官費雅達に太子少保等を追贈した。

甲辰・庚戌 情報収集と諸将の統制

  • 呉三桂旧臣で敵情に通じた投降者を彰泰・頼塔・趙良棟に選抜させ、京師での尋問に備えさせた。
  • 噶爾漢の号令に従わなかった副都統得爾徳の処分を保留し、事平定後に議することとした。

七月甲寅以降 譚天秘の招撫と烏木山の戦い

  • 譚洪の子天秘の投降交渉を哈占・徐治都に急がせた。
  • 彰泰らが希福・桑額に楚雄の賊を攻めさせ、偽国公馬宝らの誘引策を見破って烏木山で大勝、馬宝はかろうじて逃れた。
  • 趙良棟が建昌を回復した。

戊辰 図海の召還と馬宝の捕縛

  • 四川・雲南の平定を受け、老齢病身の大将軍図海を召還し、烏丹に漢中を守らせた。
  • 彰泰・頼塔の報告により、偽国公馬宝・偽将軍巴養元らが投降し軍前に至ったことを受け、皇帝は馬宝の罪状(抵抗を続け窮まって初めて投降した点)を重く見て京師への檻送を命じた。巴養元らも同様の処分とした。

乙亥以降 諸路の追撃継続と鉄索橋の修築督促

  • 姚安方面へ逃れた胡国柱・王叙らの部隊が過半離散したとの報を受け、諸将にさらなる追撃を命じた。
  • 貴州巡撫楊雍建に、輸送の要路である鉄索橋の修築の遅れを厳しく督促した。