平定三逆方略聖祖仁皇帝 康熙二十年 1681年

三月甲寅朔 鄂克済哈の解任と覚羅吉哈礼の宣威将軍任命

  • 建昌が陥落した責を負い、将軍鄂克済哈を解任して漢中で図海とともに守備にあたらせ、都統覚羅吉哈礼を宣威将軍として趙良棟軍に合流させた。

丁巳 準達の遵義出兵願いを却下

  • 貝子準達が遵義攻略の再度の指揮を願い出たが、重慶到着以来功のなかったことを理由に却下され、疲弊兵を率いて荊州へ帰らせ、噶爾漢に遵義攻略を急がせた。

壬戌~乙丑 馬湖の回復と諸方の戦果、追贈

  • 佛尼勒が竇壩・大溪口で偽将軍胡国柱の大軍を破り馬湖府を回復した。
  • 噶爾漢・王用予に叙州方面への進撃を命じた。
  • 大将軍頼塔が黄草壩で偽将軍詹養らの二万の軍を大破し、詹養・王有功以下多数を捕らえた。
  • 穆占が黔西・大定を回復し、偽巡撫張維堅を捕らえて処刑した。

丙寅~戊辰 慶陽の賊討伐と曲靖の回復

  • 慶陽で自立を称する賊渠景飛の討伐を大将軍図海・張勇・孫思克に命じた。
  • 頼塔が曲靖府を無血で回復し、交水城も併せて回復した。

辛未・癸酉 歸化寺の戦いと叙州方面の追撃

  • 彰泰・頼塔の軍が曲靖で合流し、雲南省城十里の帰化寺で呉世璠配下の偽将軍胡国柄・劉起龍らの一万余を大敗させ、胡国柄・劉起龍を斬った。
  • 叙州で対峙していた胡国柱らが遁走したとの報を受け、佛尼勒・趙良棟・噶爾漢・吉哈礼らに徹底追撃を命じた。

史論(臣謹按・雲南進撃の機先)

  • 編者は、大軍が雲南省城に迫った際、皇帝は四川の賊将が必ず本拠を顧みて撤退すると見越し、佛尼勒らに賊の退却を追撃させる先手を打ったことを述べ、実際に胡国柱らが叙州から遁走した際も速やかな追撃命令を発したことで、賊が合流できず各個に降伏・討伐されて呉世璠が滅んだ経緯を、皇帝の周到な先見と機を逃さぬ運用の成果として称えている。

甲戌以降 武定・永寧の回復

  • 大軍が雲南に迫ると偽将軍韓天福らが武定府を挙げて降った。
  • 穆占の招撫により偽将軍楊応選が投降し、佛尼勒の攻撃で永寧の偽将軍宋国輔・陸道清らも降った。

追贈と糧餉輸送

  • 巡撫王新命・郎中范承勲に川峡増水前の急速な兵糧輸送を命じた。
  • 呉三桂反乱の初め、鎮遠で自殺した総督甘文焜、殺害された巡撫朱国治にそれぞれ追贈と子弟の登用を許した。

辛丑以降 雲南進撃部隊の再編と兵糧確保

  • 佛尼勒の求めに応じ、疲弊した部隊を漢中・成都の防守に回し、精鋭を選抜して噶爾漢・吉哈礼らとともに雲南へ進ませる部署を定めた。
  • 貴州・広西経由の輸送は困難として、戸部郎中明格禮らを雲南に派遣して現地調達させることとした。

戊申・己酉 貴州守備の再配置と大理方面の投降

  • 穆占の部隊の一部を貴州守備に残し、彰泰・頼塔の雲南包囲軍には偽定遠大将軍張国柱ら大理方面の多数の偽官が相次いで投降した。

辛亥 糧餉輸送の督促

  • 趙良棟の糧餉窮乏の報を受け、蘇赫臣らに督撫と協議し輸送を急がせた。