九月丁巳 広西・四川方面への進撃期限
- 彰泰の進兵開始(十二日出発)の上奏を受け、広西・四川の将軍・総督にも同期の進撃を命じた。
癸亥以降 譚洪再叛と湖広・四川方面の緊急対応
- 蔡毓栄の請いにより提督徐治都を常徳防守に転じさせたが、まもなく瀘州・永寧・叙州が陥落し、譚洪が再叛して夔州の民も動揺した。皇帝は将軍噶爾漢・都統范達礼らに荊州の兵を割いて夾撃させ、常徳・襄陽の守備も固めさせた。
- 趙良棟の進言により大将軍彰泰らに貴陽・遵義への急進を、将軍烏丹には瀘州攻略の遅滞を叱責し即時進撃を命じた。
- 戸部郎中額爾赫図・吏部郎中范承勲らを軍前に遣わし、噶爾漢らの進撃を督促するとともに、四川諸将に譚洪程度の小賊に躊躇せず長駆するよう勅諭した。
頼塔の大将軍任命
- 広西方面の進撃強化のため、福建・広東で戦功のあった将軍頼塔を大将軍に任じ、広西の満漢大軍を統べて南寧から雲南へ直進させることとした。
増援部署と督励
- 覚羅吉哈礼らを沅州へ、佟佳らを彞陵・荊州へ、副都統吉哈礼らを四川へそれぞれ増派した。
- 噶爾漢が副都統色格を彞陵守備に回すにとどめ本人は動かなかったことを咎め、直ちに巫山・夔州へ急行するよう督促した。范達礼は病のため荊州で療養させた。
- 四川情勢の逼迫を受け、将軍王進宝を保寧・漢中の防守に転じさせた。
十月丁亥以降 四川諸将の不和と広西進兵の督促
- 四川の統兵諸将に不和の兆しがあるとして給事中莫洛を派遣して調停させ、学士額庫礼らを広西へ遣わし満漢官兵を大将軍頼塔の指揮下に統合、雲南進取を督促した。
- 都統馬奇の遅滞も咎め、督励した。
甲午 将軍烏丹の解任
- 趙良棟の弾劾(永寧失陥時に烏丹が大軍を擁しながら救援しなかったこと)を受け、皇帝は烏丹を解任して漢中で図海とともに守備にあたらせ、四川の兵は鄂克済哈と趙良棟の協議に委ねた。
永寧・建昌の回復督促と漢中増援
- 譚洪・彭時亨の再叛で永寧・建昌が陥落したことを重く見て、諸将に前回の指示(要路の防守)を怠った責を問い、恢復を急がせるとともに、副都統煕符に漢中への急行を命じた。
保寧・夔州・略陽方面の兵糧・防守の督促
- 王進宝に固原の兵を集めて保寧へ急行させ、噶爾漢・徐治都には夔州の賊討伐を、四川督撫には糧餉の確実な供給を、哈占には保寧急行と髙孟との協力を、陝西甘粛の督撫提督には略陽・陽平・寧羌・広元など兵站要路の防守強化を命じた。
辛丑 譚洪・彭時亨討滅の督促
- 噶爾漢らが巫山県を回復した戦果を賞し、譚洪・彭時亨らの徹底討滅と、投降しない同族の誅戮・家族没収を命じた。
甲辰 大将軍図海への諭示
- 図海がかつて進兵の停止を求めたが、皇帝が督促を続けたことで岳州・四川が次々平定された経緯を挙げ、今また譚洪・彭時亨の再叛に動揺せず、各路から貴州へ進めば蜀を犯す賊は自壊すると諭した。あわせて投降した官員を軽々に信用せず警戒するよう戒めた。
乙巳 議政王大臣への申飭と史論
- 皇帝は、順承郡王勒爾錦・貝勒察尼が長駆せず督撫から財物を取り立てるなどの怠慢を重ねてきたことを厳しく咎め、太祖・太宗の時代の厳格な軍法を引いて、事が定まったからといって議政王大臣が事実を糺さず軽々に処断してはならないと戒めた。
- 編者は、賞罰は君主の大権であり信賞必罰があってこそ功者は励み罪者は懲りるとし、勒爾錦・察尼は呉逆反乱当初から退縮を重ね罪は重いが、いずれも皇族であるがゆえに他人なら赦されうるところを厳しく問うた皇帝の姿勢を、疎遠を賞し貴近を罰する古の聖王の大公至正の道になぞらえて称賛している。
戊申 鎮遠回復と諸路進撃の督励
- 彰泰の鎮遠回復・偏橋衛回復の報を受け、貴陽・遵義への進撃を督励する一方、四川諸大臣の不和による遅滞を厳しく戒め、頼塔にも雲南進取を急がせた。
辛亥以降 糧餉輸送の督促と処分
- 湖広偏沅巡撫韓世琦の糧餉輸送の遅延を叱責し、湖北の買米輸送も含め速やかな転送を命じた。
- 建昌救援に失敗し要地を放棄した総兵官朱衣客を革職・拘禁とした。