平定三逆方略聖祖仁皇帝 康熙十五年 1676年

九月 仙霞関の攻略

  • 馬九玉敗走後、康親王傑書の遣わした瑚図らが常山県を克し、頼塔・瑪哈達らが八月二十日に仙霞関へ迫ると偽参将金応虎が開関降伏、官軍は浦城県まで長駆した。
  • 史臣は、閩逆が三年間持ちこたえた要は仙霞の険にあったが、皇帝が閩の内乱を察知し傑書に進軍を督促した結果、大溪灘の勝利から仙霞陥落、耿精忠の降伏へと連鎖したことを、皇帝の深謀と評した。

辛巳・癸未 馬雄への招撫と醴陵攻略

  • 固原にいる馬雄の母・族人の願いを受け、馬承先らを広西へ派遣し馬雄の投降を促した。
  • 喇布の要請により醴陵の奪還を命じ、揚古岱・趙応奎らに速やかな攻取と安親王軍との挟撃を指示した。

丁酉 耿精忠への招撫と鄖陽の糧道

  • 傑書に耿精忠への招撫を継続させた。あわせて鄖陽撫治楊茂勲の報告(譚洪の来犯)を受け、水陸両路での糧道確保を命じた。

戊戌・丙午 徽饒方面の掃討と穆占の征南将軍任命

  • 馬九玉敗走後の残賊掃討を江南・江西の諸将に命じた。
  • 図海の上奏(漢中攻略の一時停止、緑旗兵の疲弊)を受け、署前鋒統領穆占を征南将軍とし、陝西の精鋭・新附の兵を率いて湖広へ派遣、荆州・岳州・彛陵の兵と合流し機を見て長沙・岳州いずれかを攻めさせた。

丁未 建寧の回復

  • 頼塔が浦城から建陽県を経て建寧府まで進み、賊を潰走させて回復した。

十月 鄖陽・温州の回復

  • 提督佟国瑶らが陡嶺で川賊譚洪を破り、九月十九日には水陸挟撃で大破した。
  • 総督李之芳の報告により、温州の偽都統曽養性・偽伯祖宏勲が閩への大兵進入で退路を失い、十月朔日に開城投降、浙江全土が平定された。

壬申 穆占の進兵方針

  • 穆占は荆岳彛陵の兵を統合して呉逆討伐に進むか、漢中・興安を先に取るかを上奏。皇帝は陝西の民の疲弊を理由に漢興討伐を停止し、穆占に湖広への進軍を優先させ、京師に召還して密かに方略を授けた。

河南・潼関守備の再編と保寧帰還兵への慰労

  • 河南府・潼関の駐防兵を京師へ召還し、図海に潼関守備を分担させた。あわせて保寧に長く駐屯し功を挙げながら成果を得られなかった官兵の労苦を労い、耿精忠の帰順・秦陝閩浙の平定進展を告げて帰京を命じた。