平定三逆方略聖祖仁皇帝 康熙十五年 1676年

七月 長沙水軍の増強と喇布への叱責

  • 安親王岳樂の要請により江西・安慶・九江の船を長沙へ回し、江西督撫にも造船・伐木を命じた。
  • 哈爾噶齊・額楚が吉安外城を破った捷報を受け、皇帝は喇布・希爾根を、宗室でありながら省城で騎射に興じ軍務を怠っていると厳しく戒め、速やかな吉安攻略と略奪の厳禁を命じた。

乙酉 鄂爾多斯兵の待機

  • 図海の要請により、羸痩の鄂爾多斯兵を辺外で秣馬させ、川逆討伐の準備が整い次第投入する方針とした。

壬辰 寧夏兵変の首謀者処刑

  • 趙良棟の糾問により陳福殺害の首謀が参将熊虎ら四人と判明、皇帝はこれを正刑に処し、他の兵弁は不問とすることを寧夏提標官兵に布告させた。

丙申・丁未 蒙古兵の再配置と河南の治安

  • 翁牛特・喀喇沁等の八旗蒙古兵を河南府・兖州府に分駐させた。永寧県の賊への対応を怠った参領瑚什巴らを叱責し、直ちに討伐させた。

戊申 牡丹園での勝利

  • 六月二十六日、佛尼勒らが秦州から逃れた呉之茂を牡丹園で追撃・大破し五千余級を斬った。

己酉 江西脅従民の赦免と長沙造船

  • 吉安の脅従民を蓄髪者も含め概ね赦免する方針を示した。あわせて温岱の報告(長沙付近で用材が豊富)を踏まえ、船は江西で現地建造とし、額銀二十万両を犒兵・造船に充てるよう命じた。

八月甲寅 軍需不正への訓戒

  • 諸路の将軍・督撫が軍需の横領・水増し等で私腹を肥やしていることを厳しく戒め、議政王らに処分条例を定めさせた。
  • あわせて図海の禮県回復(穆占が樂門の賊糧道を断ち崖城で賊を追撃)を報告。

乙夘・戊午 辺防強化と吉安攻略の督促

  • 張勇に彛族の侵入に備え甘涼沿辺の防備を厳にさせた。喇布には、舒恕の兵の装備窮乏を踏まえ甲冑・弓矢を南昌に備蓄させつつ、吉安の速やかな攻略で贛州への路を通すよう命じた。

己未 岳樂への撫恤指示

  • 萍郷回復・長沙進迫を賞しつつ、神速を求め、陝西平定により回された余剰兵の投入、民の撫恤、叛者を朕の臣子として招徠する姿勢を諭した。史臣はこれを、皇帝の民を救う仁徳として称えた。

己巳 陝西提督人事の再配置

  • 図海の上奏により、王進宝を固原兼理に、朱衣客を西寧に、陳竒謨を慶陽鎮撫にそれぞれ配置転換した。

乙亥 大溪灘・江山県での勝利

  • 康親王傑書の命で頼塔らが大溪灘で林福の糧道を断ち大破、勝ちに乗じて江山県城を回復、馬九玉は営を棄てて逃走した。

丙子 図海の公爵封と張勇らの加官

  • 図海の平凉平定の功を大いに賞し三等公に封じた。あわせて張勇・王進宝・孫思克の功を賞し、張勇を一等侯、王進宝を一等阿思哈尼哈畨・将軍、孫思克を一等阿逹哈哈畨・涼州提督にそれぞれ昇進させた。

戊寅 杭州将軍の任命

  • 病により帰京した図喇に代わり、副都統瑪哈達を杭州等処鎮守将軍に任じた。