後漢紀巻第二十九 孝獻皇帝 建安七年 202年

夏五月 袁紹の死と後継争い

  • 夏五月庚戌、袁紹が病を発して死んだ。
  • はじめ袁紹には譚・熈・尚の三子があった。譚は年長で聡明、尚は年少で美貌だった。袁紹の妻が尚を愛してその才をしばしば称え、袁紹もその容貌を非凡として後継にしようと考え、譚を青州刺史として外に出した。
  • 沮授が諫めた。世に、一匹の兎が街路を走れば万人が追うが、一人が捕らえれば貪る者もみな止む、分が定まるからだ、という。しかも年が同じなら賢で決め、德が同じなら卜で決めるのが古の制である。上は先代の成敗の実例を推し、下は兎を逐い分を定める意義を思われよ、と。
  • 袁紹は、自分は三子にそれぞれ一州を拠らせてその能力を見たいのだと言った。沮授は退出して「禍はここから始まる」と言った。
  • 袁紹が遺命を残さずに死ぬと、別駕の審配と護軍の逢紀は日頃から驕り奢って袁譚に憎まれていたので、逢紀は表向き袁紹の妻に従い、内心では自身への害を慮って、詔を偽って遺命とし、袁尚を後嗣に立てた。袁譚は到着したが立てられず、自ら車騎將軍を称し、これによって不和が生じた。袁譚は黎陽に軍を置いた。
  • 九月、曹操が袁譚・袁尚を征伐した。
  • 越嶲で男子が婦人に化した。周羣は、代替わりの事があるだろうと言った。