後漢紀巻第二十四 孝靈皇帝 熹平四年 175年
石経の建立と大赦
- 春三月、五経の本文を石に刻んだものを太学の前に建てた。
- 夏五月丁卯、天下に大赦した。延陵の園に火災があった。
平準を中準に改める
- 冬十月、平準を中準と改称し、宦官をその長官に据えた。あわせて内署の令・丞にもすべて宦官を任用した。
沖帝・質帝の生母への追贈
- 沖帝の母虞大家は選ばれて掖庭に入った女性、質帝の母は陳夫人である。沖帝が早くに崩じ、政権が梁氏の手にあったため、二人には諡号が与えられないままであった。
- 議郎の畢整が上疏し、二人の生母は天子を産みながら諡号がなく、母の家柄によって外戚の列に並べるのが筋であり、亡くなった者にすら爵位を贈るのだから、まして存命で栄誉のない二人を放置するのは「母は子によって貴くなる」という義に背き、後世に示しがつかないと訴えた。
- 霊帝はこの言に動かされ、虞大家を貴人、陳夫人を孝王妃とし、中常侍に節を持たせて憲陵・懐陵にその旨を告げさせた。
人事
- 大鴻臚の袁隗が司徒となった。