馬賢の出征と人事
- 春正月丙子、征西将軍の馬賢が羌を討ち、射姑山まで行って引き返した。
- 三月庚午、司空の郭虔が長患いで策免された。丙午、太僕の趙誡を司空とした。
梁商の死
- 秋八月丙午、大将軍の梁商が薨じた。
- かつて梁商が洛水で宴を開き、従事中郎の周挙を招いたが、挙は病と称して行かなかった。商の親しい者はみな集まり、歌舞が終わったあと最後に薤露の歌で締めくくったので、一座はみな涙を流した。周挙はこれを聞いて、哀と楽が時と場所を誤っている、禍があるだろうと嘆じた。
- まもなく商は病が重くなり旧邸に移され、冀と不疑に遺言した。自分は徳もないのに厚い恩を受け、生きては朝廷に何の益もなく、死んでは必ず国庫を費やすことになる。衣食の供物や口に含ませる玉、珠の類は朽ちた骨に何の益もなく、ただ塵を増すだけで、平生望まぬところである。聖人の定めた制にも臨機の判断はある。
- 今、辺境は安らかでなく盗賊は止まず、朝廷の費用は常に足りない有様だ。息が絶えたら普段着で納棺し、殯が済んだらすぐ棺を閉じ、閉じたらすぐ葬れ。上は国に損をかけず、下は自分の本意にかなう。孝子は人の志をよく受け継ぎ、忠臣は事ごとに先人に依るという。必ず自分の言葉に従え。魂に知覚があれば黄泉で恨みはない、と。
- 冀と不疑はそのとおりにしようとしたが朝廷が許さなかった。車駕が親しく臨み、忠侯と諡した。
- 河南尹の梁冀を大将軍とし、不疑を河南尹とした。
- 九月、羌が武威を侵した。辛亥晦、日蝕があった。
- 冬十一月、行車騎将軍・執金吾の張喬が兵を三輔に駐屯させた。