後漢紀巻第十三 孝和皇帝 永元七年 95年

春 班超、焉耆・尉黎を平定する

  • 春三月、班超は亀茲など八国の兵七万人を発して焉耆・尉黎の二国を討った。超は使者を遣わして二国を諭し、過ちを改めて善に向かう気があるなら大人を遣わして出迎えよと伝えた。
  • 焉耆王の広は国中と議して言った。先王は以前、都護の陳睦を殺した。今、超都護が大軍を率いて来る。ひとまず降伏して手厚く貢ぎ物をし、国内には入れないようにしよう、と。
  • 北鞬支はもと匈奴人だが国中の敬信を得ていたので、牛と酒を捧げて超を迎えに遣わされた。
  • 超は焉耆が北鞬支を信任していると聞くと、彼を後ろ手に縛って責めた。お前は匈奴の侍子でありながら焉耆に拠っている。今、都護が来たのに王が時を移さず迎えに出ないのは、みなお前の罪だ、と言い、その従者をことごとく斬った。
  • ある者が「このまま殺してしまえ」と言うと、超は答えた。お前の及ぶところではない。この者の権は王より重い。まだその国に入らぬうちに殺せば、疑って備えを固め険を守るだろう。それでどうして城まで行けようか、と。
  • そこで責めたうえで賞賜を加えて北鞬支を帰した。北鞬支は「都護はわが国を疑ってはいない」と言った。
  • 広は大人とともに尉黎まで超を迎えに出て、金銀・奴婢・牛馬を献上した。超は馬だけを受けて軍に配り、他はすべて返した。
  • 超は焉耆に到り、城から二十里の大沢の中で、王以下に手厚く賜を与えると声高に触れ、翌日酒宴を設けて諸国の王を残らず招いた。焉耆王の広、尉黎王の況、鞬支ら四十一人が超のもとに参じたが、国相の腹久ら十七人は逃げて来なかった。
  • 超は怒って「腹久はなぜ来ないのか。焉耆はまた背くつもりか」と言い、吏に命じて広・況らを捕らえ、旧都護陳睦の故城で斬った。改めて新たな王を立て、広らの首を京師に送り、そのうえで大いに兵を放って掠奪させた。
  • 超は焉耆に半年留まり、西域はついに平定された。帝は超を嘉して定遠侯に封じた。

夏秋 災異

  • 夏四月辛亥朔、日食があった。
  • 秋九月辛卯、京師で地震があった。