後漢紀巻第十三 孝和皇帝 永元二年 90年

春夏 北辺の戦いと耿秉

  • 春正月、天下に大赦した。
  • 夏、耿秉が塞を出て涿邪山に至り、北単于と遭遇して大いに戦い、これを破った。
  • 耿秉は字を伯初、耿国の子である。堂々たる体躯で才略があり、司馬法をよく説いた。将となっては常に士卒に先んじ、休息の際には陣を組まなかったが、斥候を遠くまで出し、士卒と誓いを立てたので、士卒は争って死力を尽くした。薨じて壮侯と諡された。南単于は秉の死を聞くと国を挙げて発喪し、顔を切って血を流した。外国の心を得ることこれほどであった。
  • 秉の弟の耿夔は勇壮で膂力があり、軍功によって騎都尉を拝した。常に精鋭八百騎を率いて漢の本軍より先に敵地へ進み、栗邑侯に封ぜられた。

夏 諸王の冊立と竇氏の封侯

  • 五月丙辰、皇弟の劉惠を北海王、劉開を河間王、劉瑕を城陽王に立てた。また故淮南聞王昞の子の劉惻を常山王、故斉王晃の子の劉忍を斉王、北海王睦の子の劉威を北海王に立てた。
  • 車師が使者を遣わして貢献した。
  • 六月庚辰、竇憲を武陽侯、竇篤を偃侯、竇景を汝陽侯、竇瓌を夏陽侯に封じた。憲だけは封を受けなかった。
  • 辛卯、中山王の劉焉が薨じ、簡王と諡された。光武帝の時、諸王はみな封国に赴いたが、焉は郭后の末子であったため京師に留まり、永平の初めになってようやく就国した。詔で羽林の右騎を賜って虎賁とし、また属官の子弟を差し出させて官騎とさせた。焉はいずれも上疏して辞退したが、詔が下った。諸侯が国境を出るときは必ず武備を伴う。夾谷の会盟にも司馬が従った。文事があれば必ず武備があるもので、藩屏を重んじるためである。王は辞退するな、と。

夏 班超、月氏を退ける

  • この夏、月氏王の副将である謝が七万騎を率いて班超を攻めた。超の兵は少なく、皆大いに恐れた。
  • 超は「月氏の兵は多いが、千里を越え葱嶺を越えて来ている。恐れるに足りない。穀物を収めて堅く守れば、飢えて自ら降ってくる。数十日で決着がつく」と言った。
  • 謝は超を攻めても落とせず、掠奪しても得るものがなかった。超は敵の糧食が尽きれば必ず亀茲に食を求めると読み、数千の兵を東の境に伏せさせた。果たして謝は騎兵に金銀珠玉を持たせて亀茲へ遣わし、伏兵はこれを遮り撃って皆殺しにした。斬った首を謝に示すと、謝は大いに驚き、使者を送って罪を謝し、生きて帰ることを願った。超が許して帰したので、月氏は震え上がり、毎年朝貢するようになった。

秋 北単于の後継をめぐる議論

  • 秋七月、大将軍の竇憲が涼州に出て駐屯した。
  • 九月、匈奴の北単于が使者を塞に遣わして朝見を願い出た。憲は中護軍の班固を単于の出迎えに派遣したが、単于はすでに南単于に破られて漠北へ遠く逃れており、固は私渠海まで行って引き返した。
  • こうして北単于の地が空になると、憲は自らの功にしようと、降ってきた鹿蠡王の阿修を単于に立て、中郎将を置いて南単于の先例どおり護らせようとした。
  • 事は公卿に下された。太尉の宋由、太常の丁鴻、少府の尹睦らは、阿修は君を殺した者の子であり、しかも鮮卑・烏丸とは父兄を殺された讐の関係だから立ててはならない、南単于は先帝が置いたもので、今まさに北虜を破って大功を新たにしたのだから、降伏した者たちも併せて統率させ、先帝の「北を破り南を成す」策を全うさせるべきだ、と論じた。
  • 議論が定まらないうちに、袁安は憲の計画が通ることを恐れ、また単独で封事を上った。
  • その趣旨。功業には見通しがたく予見できないものがあり、事柄には明白で疑いようのないものもある。自分は正を守り公平を保つことを心がけ、先帝の意によってこれを明らかにしたい。光武皇帝が南単于を立てたのは、南を安んじ北を定め、匈奴の勢力を分けるためであった。孝明皇帝は先帝の功を大成させようとして将に命じ征伐させた。陛下は大業を継いで疆域を大きく開き、大将軍は遠征して勝利を収めた。これこそ祖宗の遺志を明らかにする大きな勲功である。
  • 南単于が徳に帰してから四十余年、三代の帝の功績が陛下に遺され、丹精して成し遂げられたものである。今、南単于の屯は大きな謀を立てて匈奴に深く攻め入り、その本拠を空にした。これは屯の大功である。それを打ち切って顧みず、新たに降った者を代わりに立てるのは、一朝の思いつきで三代の業に背き、先祖に背き旧恩を棄てるもので、長い目で見た計ではない。
  • 言行は君子の要であり、賞罰は治国の綱紀である。論語に「言は忠信、行は篤敬なれば、蛮貊の邦といえども行われる」とある。今、南単于の屯に対する信を失えば、諸蛮はもはや誓約を頼りにしなくなる。
  • 阿修は君を殺した者の子で、春秋の義では立てるべきでない。しかも烏丸・鮮卑は北単于を殺したばかりで、誰もがその讐を憎んでいる。今これを立てれば、彼らは失望して怒りを抱くだろう。
  • 兵糧の面から見ても同じである。漢の旧例では南単于への供給に年間一億九千余万を費やしている。今、北の本拠はさらに遠く、費用は倍を超える。これでは天下を空にしてしまう。
  • 詔でこの議が憲に下され、十余条にわたって互いに難詰が交わされた。憲は権勢を恃んで言葉遣いも驕慢だったが、袁安は最後まで説を変えず、帝はついに安の議に従った。