春三月・琅邪王京の死
- 春三月辛卯、琅邪王の京が薨じ、孝王と諡された。
- 京は光烈皇后の末子で明帝の同母弟であり、恩愛はとくに厚く、他の諸国とは異なる寵を受けた。京自身も孝友謙譲で、経書を好んだ。
- 光烈皇后が崩じたとき、帝は自ら書いて后の珍宝を京に賜った。京は宮室を営むのを好み、技巧を尽くし、殿舎や壁をすべて金銀で飾った。
六月・鮑昱の死
- 六月丙辰、太尉の鮑昱が薨じた。昱は字を文淵といい、鮑永の子である。
- 初め司隷校尉となったとき、匈奴が降伏したばかりで、召されて尚書のもとに赴き、胡の降伏の檄を封じさせられた。世祖が小黄門の宗厲を遣わして不審な点はないかと問わせると、昱は、故事では通官の文書に姓を記さない、またこれは司徒が布告すべきもので、司隷が文書を下すのは不審である、と答えた。世祖は、忠臣の子がまた司隷となったことを天下に知らせたいのだ、と言った。
- 三公の位にあってはその職をよく果たした。剛直さは父の永には及ばなかったが、なおその気風があった。
- 昱の子の徳は若くして黄門侍郎となり、高い節を修めて名があり、官は大司農に至った。
- 辛未の晦、日蝕があった。
秋・鄧彪の太尉就任と諸王への賜与
- 秋七月癸巳、大司農の鄧彪が太尉となった。
- 東平王が上疏したので詔があり、諸王の朝見にあたって各々に支度の費用として銭千万を賜い、東平王にはさらに五百万を加えた。