後漢紀巻第十一 孝章皇帝 建初五年 80年

春二月・自責の詔

  • 春二月庚辰朔の詔の趣旨は次のとおり。朕は先ごろ供養する相手を失い、罪悪は衆目に明らかである。上天が異変を降したのは朕の身に対してであり、群臣の咎ではなく、その咎は朕一人にある。公卿は朕の過失を極諫できる者を各一人挙げよ。世に隠れた徳ある者を先にし、浮華の徒を取ってはならない。

陳寵の寛刑論

  • この頃はまだ永平の先例に従い、吏の政務はなお厳しく、尚書の裁決も重きに傾いていた。尚書の陳寵が上疏した。その趣旨は次のとおり。
  • 先王の政治は必ず刑罰を筆頭に置くと聞くが、嘆息して互いに戒め合うのは刑を重んじる極みである。かつては獄を厳明に治めて悪を罰したが、悪がすでに平らいだ今は、寛をもって救うべきである。
  • 陛下は即位してこの義に従い、しばしば群僚に詔して寛やかさを尊ぶよう命じられたが、有司や執事はまだ悉くは奉じていない。獄を治める者は笞打ちを急ぎ、法を執る者は詐りを暴くのに煩わしい。あるいは公務に事寄せて私を行い威福をほしいままにし、本旨に背き実情を離れ、拷問によって不正を働く。
  • 政をなすのは琴瑟を張るようなもので、太い弦を強く張れば細い弦が切れる。ゆえに子貢は臧孫の猛々しい行いを非とし、鄭の子産の仁政を美とした。詩にも、剛でも柔でもなく政をゆるやかに布く、とある。
  • 今、聖徳は満ちて上下を照らしている。この時に先聖の務めを盛んにし、煩雑苛酷な法を洗い流し、笞打ちを軽くして民を助け、至徳を広めるべきである。
  • 帝はこの言を容れ、事ごとに寛厚を心がけた。その後、有司に詔して惨酷な制度五十余件を禁絶した。

陳寵の人柄と張林の件

  • 陳寵は綿密な性格で、推薦することがあっても自ら書いて草稿を削り、人に知られないようにした。かつて、人臣の義はよく慎めないことこそ苦しいと述べ、枢機の職にある以上は門人を謝絶して教授せず、知人との交わりを絶ち、ひたすら公務に専心した。朝廷はこれを重んじた。
  • 皇后の弟である侍中の竇憲が寵愛されていた。憲が真定の張林を尚書に推薦したので天子が陳寵に問うと、寵は、林は才能はあるが行いが貪欲で汚れている、と答えた。憲は深く寵を恨んだ。天子は結局張林を用いたが、林はついに賄賂の罪に問われた。
  • 夏五月戊辰、太傅の趙憙が薨じた。

梁鴻の五噫歌と隠棲

  • この頃は太平が久しく続き、宮室や高殿がしだいに壮麗になっていた。扶風の梁鴻が「五噫の歌」を作った。北邙に登り、ああ。帝京を見渡し、ああ。宮室は高く聳え、ああ。民の労苦は、ああ。果てしなく尽きない、ああ、というものである。
  • 天子はこれを聞いて非とし、探させたが見つからなかった。梁鴻は逃れて会稽に行き、名家の皋伯通に身を寄せ、賃搗きを生業とした。妻は食事を梁鴻の前に供えるとき、決して礼を失わなかった。伯通はその賢を知り、客の礼で遇した。梁鴻は門のあたりで吟詠し、著書十余篇を著した。
  • 梁鴻は病が重くなると、伯通と会稽の大夫に語った。昔、延陵の季札は子を羸と博の間に葬って郷里に帰さなかった。どうか自分の妻子に屍を持たせ棺を用意して去らせないでほしい、と。
  • 人々は、要離は古の烈士である、今、伯鸞の清高さもそれに近いと言えよう、として要離の墓のかたわらに葬った。子孫は扶風に帰った。

梁鴻と孟光

  • 梁鴻は字を伯鸞といい、志が高く群を抜いていた。初め扶風の名家の多くがその名を慕って娘を嫁がせようとし、華やかな衣装を着せたが、梁鴻はこれを嫌った。
  • のちに郷里の孟氏に、容貌は醜いが節操のある娘がいた。求婚する者は多かったが娘は応じず、三十になっても嫁がなかった。父母が望みを問うと、梁伯鸞のような賢者を得られればよい、と答えた。父母が、伯鸞は清高だ、お前がどうして釣り合おうか、と言うと、のちに梁鴻がこれを聞いて求婚し、許された。
  • 娘は支度を整えると、布の衣・麻の履および機織りの道具を用意させた。ところが新婦の衣装を着て嫁いだので、七日たっても梁鴻は応じなかった。婦は牀の下に跪き、かねて夫子の高い節義を伺っており、夫子は幾人もの婦を退けられ、私も幾人もの夫を拒んで参りましたのに、選んでいただけないのですか、と言った。
  • 梁鴻は、自分は粗末な衣を着る人を得て共に深山に隠れたいのだ、今のように綺や白絹を着るのは梁鴻の願うところではない、と答えた。婦は、夫子がそう願われないのではと恐れておりました、私には隠居の支度がございます、と言い、立って髪を椎のように結い、布を着て道具を手に進み出た。
  • 梁鴻は大いに喜び、これこそ真の梁鴻の妻だ、自分を成してくれる、と言って徳耀と字した。名は孟光という。
  • ほどなく妻が、かねて夫子は隠棲して世を避け、栄爵によって憂患を招くことを望まないと伺っておりましたが、今なぜ黙っておられるのですか、まさか頭を下げて仕えるおつもりでは、と言った。梁鴻は承知し、共に霸陵山に赴き、耕し織って衣食を賄い、琴を弾き書を誦して志を楽しませた。