後漢紀巻第十 孝明皇帝 永平十七年 74年

秋八月・河西の囚人の減刑

  • 秋八月丙寅、武威・張掖・酒泉・敦煌の囚人について、交趾への流刑以下に減ずる詔を出した。

冬十月・車師平定と西域都護の設置

  • 冬十月、竇固と耿秉が一万余騎を率いて車師を撃ち、車師王が降伏を請うた。
  • そこで竇固は西域都護と戊己校尉の設置を奏請し、陳穆を都護、耿恭と関寵をそれぞれ戊己校尉とした。耿恭は金蒲城に、関寵は折中城に駐屯し、両者は千里余り離れていた。
  • 耿恭は烏孫の大昆弥に檄を送って漢の威徳を諭したところ、いずれも使者を遣わして馬を献じ、天子のもとへ入侍することを願い出た。
  • 耿恭は字を伯宗といい、耿況の孫である。気概があり大局の計に富み、将帥の事を好んだ。