冬十一月・辟雍行幸と恩赦
- 冬十一月丙子、天子が辟雍に臨み、天下の死罪について差を設けた贖罪を認める詔を出した。
- 壬寅、日蝕があった。群臣に封事を上らせ、政治の得失を述べさせた。
鄭衆の匈奴使行
- この頃、北単于は表向き和親を求めながら、たびたび辺境を侵していた。天子は越騎司馬の鄭衆を匈奴への使者とした。
- 単于は鄭衆に拝礼させようとしたが、鄭衆は屈しなかった。単于は包囲して脅し従わせようとしたが、鄭衆が刃を抜いて自らに誓う構えを見せると、単于は恐れて中止し、逆に使者を鄭衆に随行させて漢へ送った。
鄭衆の再使反対と投獄
- 漢廷は再び鄭衆を派遣しようと議した。鄭衆は上疏して反対した。北単于が漢の使者を招きたがるのは、南単于を離間し西域諸国に見せつけるためであり、使者が着けば傲慢に構えるだけだから、今は応じるべきでない。南単于は呼韓邪単于の先例にならって帰順し二心がなく、烏桓も帰化して力を合わせている。北単于が屈しないのに漢が通使を続ければ、南単于は疑いを抱き烏桓も動揺する。単于は長く漢地にいて内情を知り尽くしており、離反すれば辺害は軽くない。渡遼の軍が北辺に威を示している以上、返答しなくとも侵害は受けない、という論であった。
- 天子は容れず、結局鄭衆を派遣した。鄭衆はさらに上言し、前回の使行で単于と不和になった以上、今行けば必ず自分を屈服させようとするだろう、漢の使節の証を持ちながら異民族の前に跪拝して匈奴の名を益し漢の強さを損なうには忍びない、と述べたが、詔は聴かなかった。
- 鄭衆は西へ向かう道中も上書を重ねて争ったため、天子は激怒して呼び戻し、廷尉の獄につないだ。恩赦にあって帰郷した。
鄭衆の再起用
- のちに天子が来朝した匈奴の使者に、鄭衆が単于と礼をめぐって争ったときの様子を尋ねると、匈奴の側では鄭衆を壮勇の士とし、往年の蘇武もこれには及ばないと語り伝えていた、と皆が答えた。
- 天子はあらためて鄭衆を召して軍司馬とし、その後しだいに昇進させて大司農とした。