黄憲
- 黄憲、字は叔度。汝南郡慎陽の人。貧賤の家に生まれ父は牛医であった。潁川の荀淑が旅先で十四歳の憲に出会い、語り合って「君は私の師表である」と驚嘆した。袁閎(一作閬)も「貴国に顔回のような人がいるのを知っているか」と問われ「わが叔度のことか」と即答した。
- 同郡の戴良は才高く倨傲であったが憲に会うと必ず容を正し、帰ってのちも茫然とした。母に「また牛医の子に会ったのか」と問われ「叔度に会わなくとも劣っているとは思わぬが、会うと瞻れば前にあり忽ち後ろにある(測り難い)」と答えた。陳蕃・周挙も「一月会わねば鄙吝の心が生じる」と評し、陳蕃は三公となった際「叔度がいれば私が先に印綬を佩びることはできぬ」と嘆じた。
- 太守王龔も進んで賢者を招いたが憲だけは屈せず、郭林宗は袁閎(袁閬)の所には泊まらず立ち去ったが、憲の所へは数日滞在した。理由を問われ「奉高(袁閬)の器は清いが汲みやすい浅瀬、叔度は千頃の陂のように澄ませても清まらず濁らせても濁らぬ、量り得ぬ人物だ」と答えた。孝廉に挙げられ公府にも辟されたが短期間の出仕にとどめ、四十八歳で没し、天下は彼を「徴君」と呼んだ。
論(黄憲について)
- 黄憲は言論の要旨は伝わっていないが、会った士君子は皆その深遠さに服したという。道が周く性が全きゆえに徳の名すら付けようがなかったのであろうと評し、孔子の門にあれば顔回に近かったであろうと結ぶ。