後漢書卷七十上 班彪列傳第三十上 班固

学問と人柄

  • 班固、字は孟堅。九歳で文を綴り、長じて諸書百家に通じ、常師を持たず章句にこだわらず大義を捉える学び方をした。寛和で人を包容し、才で人の上に立とうとせず、儒者たちに慕われた。永平初め、東平王劉蒼が至戚として驃騎将軍に任じ輔政、東閣を開いて英雄を招いた際、弱冠の班固は書を奏して劉蒼に説いた。

東平王蒼への上書

  • 「将軍は周公・召公の徳をもって本朝に立ち、驃騎将軍の号を建てられた。周公以来、詩書に記されてこれほどの例はない。『非常の人あって非常の事あり、非常の事あって非常の功あり』という。私は幸い清明の世に生まれ末席で国政を窺うことができ、将軍が千載の任を負い先聖の跡を継ぎ、六芸を身につけ善を求めて厭わぬことを美しいと思う。」
  • 班固はさらに、幕府が広く英俊を招いているのを見て、唐虞・殷代の賢臣登用(舜の皋陶、湯の伊尹)に倣い、遠近偏りなく賢才を集めるべきと説き、具体的に六名の人物を推薦した――清廉の宿儒桓梁、修身白首の京兆祭酒晋馮、経学に明るい扶風掾李育、孝行と政績著しい京兆督郵郭基、卞荘子の勇と術藝を兼ねた涼州従事王雍、博学で使者の任に堪える弘農功曹史殷肅。彼らを登用して山梁の秋(時を得た好機)を逃さぬよう、また卞和や屈原の悲運を繰り返さぬよう、微を照らし日昃の聴を屈して用いてほしいと訴えた。劉蒼はこれを容れた。

『漢書』の完成

  • 父班彪の死後、班固はその続史が未詳であるとして精思を潜め業を継ごうとしたが、何者かが「班固が私に国史を改作している」と顕宗(明帝)に密告し、郡に命じて捕らえられ京兆の獄に繋がれ、家の書はすべて没収された。折しも扶風の蘇朗が図讖を偽って処刑された事件があったため、弟の班超は班固が郡での取り調べで自らを弁明できぬことを恐れ、馳せて闕に至り上書し、班固の著述の意図を詳しく述べた。郡もその書を上奏し、顕宗はこれを奇として召し、校書部に任じ蘭台令史とした。
  • 前雎陽令陳宗・長陵令尹敏・司隷従事孟異と共に『世祖本紀』を完成させ、郎に遷って秘書の校勘を続け、功臣・平林・新市・公孫述の事跡を列伝・載記二十八篇にまとめて奏上した。帝はさらに前著の完成を命じた。
  • 班固は、漢が堯の運を継いで帝業を開いたのに、六代(武帝)の史臣(司馬遷)が私に本紀を作り秦・項羽と並べて記したことを不服とし、太初以後の欠を補うべく前紀を探り集めて『漢書』を著した。高祖から孝平・王莽誅滅までの十二世二百三十年を、五経に貫いて『春秋』の考紀のごとくまとめ、紀十二・表八・志十・列伝七十の計百篇とした。永平中に詔を受けて着手し二十余年、建初中に完成、当世に重んじられ学者はこぞって諷誦した。
  • 郎となって以後、班固は帝に親近された。京師の宮室・城隍の修築が続く中、関中の耆老がなお朝廷の西顧(長安への還都)を望んでいるのを見て、司馬相如・吾丘寿王・東方朔らの故事に倣い、諷諭を旨とする『両都賦』を奏上し、洛陽(東都)の制度の美を盛んに称えて西都(長安)の奢侈の論を退けた。

両都賦(西都賦)――大意

  • 賦は「西都の賓」が「東都の主人」に問う対話形式を取る。西都の賓はまず、高祖が当初は河洛(洛陽)への遷都を志しながら、婁敬・張良の献策により関中(長安)を「天府の国」として都に選んだ経緯を述べる。
  • 続いて長安の地勢を賛美する。函谷・崤山を左に、太華・終南山を表とし、褒斜・隴首の険を右に、黄河・涇渭の流れを帯とし、天下随一の沃野・要害の地であるとし、周の龍興・秦の虎視の後、漢がここに都を定めたのは天文(東井の精)と地理(河図)に応じたものであり、婁敬の建策と張良の輔翼によって成ったと述べる。
  • さらに長安城の壮麗を描く。金城万雉の城壁、三条の大路、十二の城門、街衢の賑わい、九市の繁栄、五方の遊士や豪俠が集う様、南に杜陵・霸陵、北に五陵の名族が居並ぶ光景、丞相・大司馬を輩出した名門の多さを列挙する。
  • 郊野の富も描写する。南の山地には藍田の美玉・商洛の産物、鄠杜の沃野があり、鄭国渠・白渠による灌漑で五穀桑麻が豊かに実る。東郊には漕運の便、西郊には上林苑をはじめとする離宮別館三十六所、神池霊沼が連なり、九真の麒麟・大宛の馬・黄支の犀・条枝の鳥など、三万里の彼方から集められた珍獣異鳥がいる。
  • 宮室の壮麗は天地陰陽になぞらえられ、未央宮の高楼・玉の礎・金璧の飾り、後宮の椒房・昭陽殿などの絢爛たる様が語られ、朝堂には蕭何・曹参・魏相・邴吉ら名相が国政を輔けたこと、天禄閣・石渠閣に儒者が集い経学を講じたこと、金馬門に文人が集ったことが述べられる。
  • 後半は上林苑での大狩猟の場面である。天子が鑾輿に乗り群臣を率いて苑門に入り、酆水・鎬水をめぐり六師を発して百獣を追い立てる様、期門・佽飛らの精鋭が矢を放ち虎兕・熊羆・豺狼を仕留める勇壮な狩りの情景が延々と描写される。狩りの後、天子は属玉の館・長楊の榭に登って戦果を眺め、禽獣を分かち功を論じて酒宴を催す。さらに後宮の女官たちが龍舟に乗り昆明池に遊び、玄鶴・白鷺・黄鵠などの水鳥が舞う情景、釣りや弋射を楽しむ様が描かれる。
  • 最後に、天子は前は秦嶺、後は九嵕山、東は河華、西は岐雍に至るまで巡幸し、山川を祭り天地の恩に応え、童謡や群臣の頌歌を集めたと結び、都邑が栄え、士農工商がそれぞれ旧業を守り安んじて暮らす泰平の様を称え、「私が見聞きしたのはこの旧都の跡のごく一端に過ぎない」と賓は語り終える。