後漢書卷六十五 張曹鄭列傳第二十五 張奮

礼楽制定を求めた太常

  • 張奮、字は穉通。父純の遺言(「司空の功なくして爵を得た、伝国を議するな」)に従い当初は継承を固辞するが、詔勅違反で下獄しかけ、やむなく永平4年に襲封。学を好み節倹を貫き、儋耳降伏の際の朝賀で顕宗(明帝)に才を認められた。
  • 左中郎将、五官中郎将、長水校尉、将作大匠、城門校尉、長楽衛尉、太常、司空を歴任。旱魃の際に対策を上疏し即座に大雨がもたらされた逸話が伝わる。永元9年、病により罷免後も「漢は当に礼楽を制作すべし」と繰り返し上疏し、七代祖・張湯以来の台輔の家系として礼楽制定への熱意を語ったが、実現しないまま病没した。子の甫、孫の吉と継いだが永初3年に吉が無子で没し国除。張氏は昭帝期の安世以来8代、200年近く一度も譴責を受けなかった稀有な家系であった。