後漢書卷六十三 朱馮虞鄭周列傳第二十三 鄭弘

交阯航路を開いた大司農

  • 鄭弘、字は巨君。会稽山陰の人。従祖の鄭吉は宣帝期の西域都護。郷嗇夫から太守第五倫に見出され孝廉。師の焦貺が楚王英事件に連座した際、自ら髠頭で罪を引き受け冤罪を訴え、貺の家族を救い喪を送った義の人として知られる。
  • 騶令・淮陰太守として仁政を敷き、建初年間、尚書令として交阯7郡の貢献輸送の困難(東冶からの海路で溺死者が続出していた)を憂い、零陵・桂陽経由の嶠道を開いて陸路を確立、この功で年間3億の経費を節約した。大司農として飢饉時の貢献削減を建議し容れられた。
  • 元和元年、太尉として第五倫(かつての推挙者)と序列を配慮し屏風で区分けする気配りを見せた逸話が伝わる。竇憲一派の不正(尚書張林・洛陽令楊光の腐敗)を弾劾したことが憲の逆恨みを買い、機密漏洩の罪で印綬を没収されるが、病死の間際まで竇憲を批判し続けた。