後漢書卷五十六 伏侯宋蔡馮趙牟韋列傳第十六 宋弘
節義を重んじた大司空
- 宋弘、字は仲子。京兆長安の人。父の尚は成帝期に少府まで至る。王莽期に共工、赤眉の徴召を拒み投水自殺を装って逃れる。光武帝即位後、太中大夫、建武2年に大司空・栒邑侯、のち宣平侯。
- 桓譚を推挙するも、桓譚が鄭声(俗楽)を好んで帝に取り入る態度を見て厳しく戒め、帝の前でも威儀を正させた逸話が伝わる。屏風の美女図に「未だ徳を好むこと色を好むが如き者を見ず」と諫め、帝がすぐに撤去させた逸話も伝わる。
- 湖陽公主が寡婦となった際、帝が「貴賎交わりを易え富貴妻を易える、人情か」と問うと、弘は「貧賤の交わりは忘るべからず、糟糠の妻は堂を下さず」と答え、縁談は成らなかった。建初期、上党太守の考課に根拠なしとして免官。子孫は絶えた。弟の嵩、嵩の子の由、由の孫の登・漢と続き、漢は東平相・度遼将軍として威恩を称された。子の則も知人を見る目に優れたという。