後漢書卷五十六 伏侯宋蔡馮趙牟韋列傳第十六 侯霸

旧制復興の功

  • 侯霸、字は君房。河南密の人。族父の淵は宦官として才弁で知られた。房元に穀梁春秋を学び、王莽の下で随県令、執法刺姦、淮平大尹を歴任し、乱世の中でも郡を保った。更始が招聘した際、百姓が引き留めを求め嘆願する逸話が伝わる。
  • 建武4年、光武帝に召され尚書令として旧制を整理、寛大の詔・四時の令など多くの善政を建議・実施した。建武5年に大司徒・関内侯。建武13年に薨去し、光武帝が深く惜しみ「積善清潔」と称えて追封、則郷哀侯(食邑2600戸)。
  • 霸の後任の大司徒韓歆は直言の士で、「亡国の君にも才がある」と桀紂を引いた発言が光武帝の怒りを買い罷免、自殺に追い込まれた。以後、大司徒の座に就く者は難しい地位となり、歐陽歙・戴渉も坐罪で死し、蔡茂・玉況・馮勤へと続いた。