後漢書卷五十六 伏侯宋蔡馮趙牟韋列傳第十六 伏隆
使命に殉じた忠節
- 伏湛の子。建武2年、太中大夫として青徐二州の招降を担当。檄文で王莽・更始の乱を説き光武帝の正統性を説き、獲索賊の右師郎ら6校を降す功を挙げた。張歩は当初帰順の意を示すが劉永から斉王に封じられると躊躇し、隆を抑留したまま劉永の封を受けた。
- 隆は密使を送り「臣は使命を辱めたが、歩の反逆の心は民に支持されない。私を顧みず進軍せよ」と上疏。光武帝は父の湛に「隆は蘇武の節に比すべし」と涙して伝えたが、まもなく張歩に殺害され、世人は皆これを憐れんだ。建武5年、張歩平定後、遺骸を琅邪に葬り子の瑗を郎中とした。