温仁の長者
- 劉寛、字は文饒。弘農華陰の人。ある人が牛を失い、寛の車中の牛を誤認したが、寛は無言で歩いて帰り、後に真の牛が見つかると謝罪を受けたが「物には似たものがあるものだ」と咎めなかった逸話が伝わる。
- 大将軍梁冀の招きで司徒長史を経て東海相、南陽太守を歴任、温仁で怒気を表さず、吏の過失には蒲鞭(形式的な鞭)で恥辱を示すのみで苦しめなかった。県を巡回する際は学官の祭酒や処士を招いて経義を講じさせ、父老・少年に応じた訓戒を与えた。
- 霊帝の下で太中大夫、侍中、太尉を歴任。帝が経義を尋ねる際、酔って眠ってしまった寛に「太尉は酔ったか」と問うと「任重責大、憂心酔うが如し」と答え帝を感服させた逸話が伝わる。
- 妻の試みで朝会準備中に肉汁を掛けられても「羹があなたの手を火傷させたのでは」と平静を保った逸話も伝わる。日食に伴う策免を経て衛尉、太尉を再任、黄巾の乱を予知した功で逯郷侯(食邑600戸)。中平2年、66歳で没し昭烈侯と諡された。子の松が宗正まで至った。
史論(総括)
- 賛に曰く。卓茂・魯恭は篤実で徳に満ち、その仁愛は昆虫にまで及んだ(雉の雛を捕らせなかった逸話)。劉寛・魏覇の政治も寛やかさで称された、と。