- 梁の劉昭補注。冕冠・爵弁・長冠・通天冠・委貌冠・遠遊冠・皮弁冠・高山冠・進賢冠・方山冠・法冠・巧士冠・武冠・却非冠・建華冠・却敵冠・樊噲冠・術氏冠・鶡冠、及び綬(黄赤・緑・紫・青・黒・黄)・佩の制を記す。
序(衣冠の起源)
- 上古は毛皮を纏うのみだったが、後世の聖人が翬翟(雉の羽)の文様に倣い絹麻を染めて服とし、鳥獣の冠角の形から冠冕・纓蕤を作った(十二章の文様)。『易』の「庖犠氏、仰いで象を天に観、俯して法を地に観る」を引き、黄帝・堯・舜が衣裳を垂れて天下を治めた由来を説く。
- 十二章の文様(日月星辰・山龍・華蟲・宗彝・藻火・粉米・黼黻・絺繡)を『書』孔安国注に拠り解説。天子は十二章すべてを、公は山以下、侯伯は華蟲以下、子男は藻火以下、卿大夫は粉米以下を用いる制を周代に説明。
- 秦は戦国のまま天子となり礼学を廃し郊祀の服はみな黒一色(袀玄)とした。漢は秦の制を承けたが、世祖(光武帝)が即位し三雍(辟雍・明堂・霊台)を修めてから、旒冕・衣裳・赤舄を備え天地を祀るようになった。永平二年、東平王劉蒼の議(孔子「行夏之時、乗殷之輅、服周之冕」を引き、天地の礼服は明堂の制に倣うべきとする建議)により、乗輿は日月星辰の十二章、三公・諸侯は山龍の九章、九卿以下は華蟲の七章を用いる制が定まった。
冕冠と各種の冠
- 冕冠:前後に旒を垂らし玉藻を飾る(周礼の五采繅十二就・十二玉・朱紘の制、衮衣の冕は十二旒で玉二百八十八、鷩衣の冕は九旒で玉二百十六等、旒数に応じた玉数を記す)。永平二年、明帝が周官・礼記・尚書皋陶篇に基づき制を詔定――乗輿の冕は広七寸・長尺二寸、白玉珠十二旒。三公・諸侯は七旒(青玉)、卿大夫は五旒(黒玉)。郊天地・宗祀明堂の際に冠する。
- 長冠:別名「斎冠」。高祖が微賤の時、竹皮で作った「劉氏冠」に由来(楚冠の制、俗に「鵲尾冠」というのは誤り)。宗廟の諸祀に冠し袀玄の服を着る。
- 委貌冠・皮弁冠:形は同じ、高七寸・広四寸。大射礼を辟雍で行う際、公卿諸侯大夫が冠する。委貌は皁絹製、皮弁は鹿皮製。
- 爵弁:別名冕。広八寸・長尺二寸、雀の頭に似た形と色。天地・五郊・明堂の祭祀で雲翹舞の楽人が着用(『礼』にいう「朱干玉戚、冕而舞大夏」に当たる)。
- 通天冠:高九寸、前に山展筩あり。乗輿が常用する。
- 遠遊冠:通天冠に似るが山述なし。諸王が着用。
- 高山冠:別名「側注」。中外官の謁者僕射が着用。もと斉王の冠で、秦が斉を滅ぼし近臣に賜ったとの伝承。
- 進賢冠:古の緇布冠、文儒者の服。公侯は三梁、中二千石以下博士までは両梁、博士以下小史・私学弟子は一梁。宗室劉氏も両梁(尚書令史丁堪の建議を巡る太官令の冠制論議を注に長く引く)。
- 法冠:別名「柱後」。高五寸、鉄柱巻。執法者(侍御史・廷尉正監平)が着用。俗に「獬豸冠」と呼ぶ(獬豸は不正を見分ける神羊、楚王がこれを得た故事に由来。秦が楚を滅ぼし執法の近臣に賜った)。
- 武冠:別名「武弁大冠」。諸武官が着用。侍中・中常侍は黄金璫・附蝉・貂尾を加え「趙恵文冠」と呼ぶ(趙武霊王が胡服を採用した故事、秦が趙を滅ぼし近臣に賜った由来。建武年間、光武帝が南単于に恵文冠を賜った例も注記)。
- 建華冠:鉄柱巻に大銅珠九枚を貫く。天地・五郊・明堂の育命舞の楽人が着用。
- 方山冠:進賢冠に似て五采の縠製。宗廟祭祀・大予八佾・四時五行の楽人が着用(方位の色に応じる)。
- 巧士冠:高七寸。郊天の際、黄門従官四人が着用し鹵簿の乗輿車前に立つ(宦者四星に象るという)。
- 却非冠:長冠に似て低い。宮殿門吏・僕射が着用。
- 却敵冠:進賢冠に似る。衛士が着用。
- 樊噲冠:漢将樊噲が項羽の軍に入る際に急ごしらえで作った冠に由来。司馬殿門の大難の衛士が着用(樊噲が鉄楯を裂いた衣で包み冠として項羽を見張った逸話を注に記す)。
- 術氏冠:前円形、呉の制。趙武霊王が好んだが今は用いられず、官にその図注のみ残る。
- 諸冠にはみな纓蕤があり、執事及び武吏は纓を五寸垂らす。武冠(俗称「大冠」)は青系の環纓に双鶡尾を左右に立て「鶡冠」と呼ぶ。五官・左右虎賁・羽林・五中郎将・羽林左右監はみな鶡冠に紗縠単衣(虎賁は虎文の袴・剣佩刀、虎賁武騎は鶡冠虎文単衣を用いる。鶡は勇猛な雉で趙武霊王が武士の象徴として用いた故事を記す)。
- 安帝の代、皇太子が高祖廟・世祖廟を謁する際の門大夫・洗馬の冠制を巡る論議(尚書陳忠が旧例に従うべきと奏し裁可された経緯)を注に記す。
幘(頭巾)の由来
- 古は冠のみで幘はなく、戦国末に秦が武将の首飾りとして絳袙を用いたのが始まり。漢に至り前額を高くし耳を垂らす形に発展、文官は長耳、武官は短耳とし冠に応じて使い分けた。尚書の幘は方三寸で「納言」と呼ばれ忠正を示す。五郊の迎気にはそれぞれ方位の色の幘を用い、武吏は常に赤幘(威を示す)、未冠の童子の幘には屋根がなく未成人を示す、喪服の幘は却摞(前へ折り返す)とし古礼に戻すことを表す。
韍・佩・綬の由来
- 上古は君臣ともに玉を佩び韍(蔽膝)で尊卑を示したが、五伯(覇者)の争乱期に韍佩を廃し璲(飾り玉)のみを残し、これが「綬」の起こりとなった。漢は秦の制を承け双印・佩刀の飾りを加え、明帝の代に大佩・衝牙・双瑀璜(すべて白玉)を定めた。乗輿は白珠を垂らし、公卿諸侯は采糸を用いる。
佩刀
- 乗輿の佩刀は黄金造り、貂の飾り、半鮫魚鱗、金漆錯の鞘に雌黄を塗り五色の罽で飾る。諸侯王は黄金錯環に半鮫、黒鞘。公卿百官は純黒で半鮫なし。小黄門は雌黄鞘、中黄門は朱鞘、童子はみな虎爪文。虎賁は黄鞘虎文、虎賁将は白虎文。乗輿はさらに翡翠の飾りを加える。
印綬の制
- 双印(長寸二分・方六分):乗輿・諸侯王公列侯は白玉、中二千石以下四百石までは黒犀、二百石以下私学弟子までは象牙。銘文「正月剛卯……」の呪句(六十六字)を注に全文引く。
- 乗輿の黄赤綬:四采(黄赤紺縹)淳黄圭、長一丈九尺九寸・五百首。璽の制度(皇帝行璽・皇帝之璽・皇帝信璽・天子行璽・天子之璽・天子信璽の六璽、武都紫泥で封じる制)を長い注で記す。孫堅が伝国璽を得た逸話(井戸から発見、銘文「受命于天既寿永昌」)、冉閔配下の蔣幹が璽を献じた逸話も注記。
- 諸侯王:赤綬(四采、赤黄縹紺)、長二丈一尺・三百首。太皇太后・皇太后・皇后の綬は乗輿と同じ。長公主・天子貴人は諸侯王と同綬(特に加えられた礼遇)。
- 諸国貴人・相国:緑綬(三采、緑紫紺)長二丈一尺・二百四十首。
- 公・侯・将軍:紫綬(二采、紫白)長丈七尺・百八十首。公主・封君も紫綬。
- 九卿・中二千石・二千石:青綬(三采、青白紅)長丈七尺・百二十首。
- 千石・六百石:黒綬(三采、青赤紺)長丈六尺・八十首(四百石・三百石の長も同じ)。
- 四百石・三百石・二百石:黄綬(淳黄一采)長丈五尺・六十首。
- 百石:青紺綸(一采、宛転繆織)長丈二尺。
- 建武元年に諸侯王の金璽綟綬、公侯の金印紫綬を復した制度、九卿・執金吾・河南尹以下の秩と印綬の対応(銀印青綬・銅印黒綬・銅印黄綬等)を細かく列記し、諸官の秩石を注に一覧化する。
皇后・皇太后以下の服制
- 太皇太后・皇太后の廟服:紺上皁下(蚕服は青上縹下)、深衣制。玳瑁の擿(かんざし)に鳳凰の飾りを付ける。
- 皇后の謁廟服:紺上皁下、假結・歩揺・簪珥。歩揺は黄金の山題に白珠を貫き、桂枝を象り、爵・九華・熊虎・赤羆・天鹿・辟邪・南山豊大特の六獣を配す(『詩』の「副笄六珈」に当たる)。
- 貴人の助蚕服は純縹上下。長公主・公主も規定の服制がある。
- 公主封君以上は綬を帯び、黄金辟邪首の帯玦に白珠を飾る。
- 公卿列侯中二千石二千石の夫人:紺繒の蔮(髪飾り)に黄金龍首・白珠魚須の擿。廟祭を佐ける際は皁絹、蚕祭を助ける際は縹絹。
- 服の彩色は身分により厳格に制限された――特進・列侯以上は錦繒十二色、六百石以上は重練九色(丹紫紺は禁色)、三百石以上は五色(青絳黄紅緑)、二百石以上は四色(青黄紅緑)、商人は緅縹のみ。建武・永平年間に華美な装飾を禁じ、建初・永元年間に一時復したが、後に制作できる者がなくなり自然消滅したと注記(蔡邕の上表を引き、服制の記録整備を提言した経緯を記す)。
祭服と朝服の区分
- 旒冕・長冠・委貌・皮弁・爵弁・建華・方山・巧士の冠、及び文繍の衣裳・赤舄・絇履・大佩はすべて祭服、その他は常用の服とする。朝服は長冠のみを用い、諸王国の謁者の常朝服とする。宗廟以下の祠祀にはみな長冠・皁繒袍単衣・絳縁の中衣・絳袴を着る。五郊はそれぞれの方位の色に従う。
史論
- 賛に曰く、車輅はそれぞれに役割があり、旌旂は用途により異なる。冠服は美を尽くし、佩玉と璽綬は身分に応じて整えられている。敬うべきは敬い、尊ぶべきは尊ぶことを表すもので、華美・煩雑を誇るためのものではない。