- 梁の劉昭補注。玉輅・耕車・乗輿・戎車・金根・猟車・安車・軿車・立車・青蓋・縁車・大駕・皂蓋車・小駕・法駕・夫人安車・使車・軽車・大小使車・車馬飾・載車・導従車を記す。
序(車服の意義)
- 『書』の「明試以功、車服以庸」を引き、聖人が天下の民のために働いた功に報い、その徳を彰らかにするため車服の制ができたと説く。老子「聖人不仁、以百姓為芻狗」も引きつつ、車服は功に報い徳を彰らかにし賢を尊ぶためのもので、身分にふさわしくない服は許されないとする。
- 周の衰えとともに礼が乱れた過程を述べる――夷王が堂を下りて諸侯を迎えたのが天子失礼の始まり、以後諸侯・大夫の僭越(宮県の楽、白牡の犠牲、大夫の台門・旅樹・反坫等)が進んだ。『詩』が「彼己の子、其の服に称わず」と刺り、『易』が「負且乗、寇の至るを致す」(小人が君子の器に乗れば奪おうとする者を招く)と譏った故事を引く。
- 戦国の奢僭のはて、秦が天下を併せ車服の制を奪い、上は御用、次は百官に賜った。漢は秦の制を承けつつ六経に照らして雅正に近づけたとする。
- 車の起源――上古の聖人が転蓬(風で転がる蓬)を見て輪の理を知り、天の北斗七星(魁・杓)の運行を象って輈を曲げたとする伝承、奚仲が夏の車正となり旒旐に尊卑の等級を定めた故事(黄帝が車を作ったとする説、少昊時代に牛、禹の時代に奚仲が馬を用いたとする説を併記)を紹介。
- 周礼の制度――車は方形(地を象る)、蓋は円形(天を象る)、輻三十(日月を象る)、蓋弓二十八(星宿を象る)。龍旂は九斿・長七仞で大火(心宿)を、鳥旟は七斿・五仞で鶉火(柳宿)を、熊旗は六斿・五仞で参伐を、亀旐は四斿・四仞で営室(壁宿)を、それぞれ象る。旗の九名(常・旂・旃・物・旗・旟・旐・&KR0008;・旌)を注記。和鸞(車の鈴)の位置についての諸説(衡・軾・鑣など)を列記。
天子の五路
- 『周礼』の玉路・金路・象路・革路・木路の五路のうち、玉路は玉で飾り、錫樊纓十二就、太常(旗)十二斿・九仞で地に曳く。日月・升竜を画き天の明を象るとする。夷王以後、諸侯も大路を用いるようになり、秦は殷の「乗根」を継いで金根車と改称、漢はこれを承けて乗輿とした(孔子「乗殷之輅」の語に当たるとする)。
乗輿・金根車以下の各車
- 乗輿の金根・安車・立車:輪は朱班・重牙、両轂両轄、金薄で龍を繆らせた輿、虎を描いた軾、龍首が軛を銜え、鸞雀を衡に立て、羽蓋・華蚤(黄屋車と称される)。大旂十二斿に日月・升竜を画き、六馬(東京賦にいう「六玄虬」)で牽く。左纛(氂牛の尾製)を左驂馬の軛上に付ける。これを徳車と呼び、五時(五色)の車・安車・立車もみな方位の色に応じ馬の色も揃える(白馬は鬛を朱に染める)。天子は六頭立て(諸説――天子四馬説・六馬説を併記。漢は六馬を用いる)。
- 耕車:芝車と呼ばれ、耒耜を載せ親耕に用いる(三蓋の意匠、鸞路〔春の色を表す青〕の由来も記す)。
- 戎車:矛戟・幢麾・鎧甲・弩の箙を備える征伐用の車。
- 猟車:闟猪車(魏文帝が闟虎車と改称)と呼ばれ、重網・縵輪・繆龍で飾り、親猟に用いる。
皇族・臣下の車
- 太皇太后・皇太后の法駕は金根車に交路帳裳を加える。非法駕では紫罽軿車(雲文を画いた輈、黄金塗りの五末)に三頭立て。
- 長公主は赤罽軿車。大貴人・貴人・公主・王妃・封君は油画軿車(大貴人は節を加える)。皇太子・皇子は安車(朱班輪・青蓋・金華蚤)で、皇子が王となれば「王青蓋車」と呼ばれる。
- 皇孫は緑車(「皇孫車」の異称)。公・列侯は安車(朱班輪・鹿の意匠の較・熊を伏せた軾・皁繒蓋)。
- 中二千石・二千石は皁蓋朱両轓、千石・六百石は朱左轓(轓の寸法まで規定)。景帝中元五年、六百石以上に轓を施し銅五末の軛を許した詔を記す。三百石以上は皁布蓋、千石以上は皁繒覆蓋、二百石以下は白布蓋と、身分により細かく差がある(賈人〔商人〕は馬車に乗れない)。武帝天漢四年の諸侯王の車の色分けの詔も注記。
- 公・列侯・中二千石・二千石の夫人は朝会・養蚕の儀の際、夫の安車に准じた車に乗る。
大駕・法駕・小駕
- 乗輿の大駕:公卿が奉引し太僕が御し大将軍が参乗、属車八十一乗を従え千乗万騎を備える(西都〔長安〕での甘泉郊祀の鹵簿制度)。東都〔雒陽〕では大行(皇帝の大喪)の時のみ大駕を用いる。
- 法駕:河南尹・執金吾・雒陽令が奉引し、属車四十六乗。前駆に九斿雲罕・鳳凰闟戟・皮軒・鸞旗(民間で「雞翹」と誤称される)が付き、後に金鉦・黄鉞・黄門鼓車が続く。属車の数は諸侯貳車九乗の制を秦が九国分併せて八十一乗としたことに由来し、法駕はその半分。属車はみな皁蓋赤裏・木轓・戈矛弩箙を備え、最後尾の一車に尚書・御史が乗り豹尾を懸ける(豹尾より前が禁中の扱いとなる)。
- 天郊祭祀には法駕、地・明堂の祭祀にはその十分の三程度、宗廟祭祀にはさらに簡素な「小駕」を用いる。出行の際は太僕が鹵簿を上奏し、中常侍・小黄門らが尚書・侍御史・蘭台令史の副として車騎を督整する(これを「護駕」と呼ぶ)。春秋の上陵ではさらに簡素で、直事尚書一人のみが従う。
軽車・使車等
- 軽車:古の戦車。朱塗りの輪で輿に巾も蓋もなく、矛戟・幢麾・鎧甲・弩を備え武庫に収蔵。大駕・法駕出行時には射聲校尉の司馬の吏士が属車として乗る。装飾は『周礼』に基づき五色。孫呉兵法にいう「巾蓋のある武剛車」は先駆と属車を兼ね、軽車は後殿を務める。
- 大使車:赤帷・持節の使者用(重導従・賊曹車・斧車・督車・功曹車を伴う)。従車四乗(無節)、単導従は半減。小使車は騑馬付き(赤屏泥油)。蘭輿(赤轂白蓋赤帷、騶騎四十人)は逮捕・審問の際に用いる。使車はみな朱班輪四輻。葬送に用いた車は白堊を塗り洗車の後に返還する。
- 公卿・中二千石・二千石は郊廟・明堂・祭陵には大車立乗四頭立て、その他の外出には安車を用いる。
大行の載車(葬送用)
- 金根車の飾りに組・連璧の交絡、四角に金龍首(璧を銜え五采の析羽・流蘇を垂らす)、雲気画の帷裳を加える。太僕が御し六頭立て(淳白の駱馬に黒薬で虎文を灼く)。用済み後は馬を売り、車は城北の秘宮に収め城門を通さない――太僕・考工が担当し、吉凶を混同しない配慮による。
導従の制度
- 公卿以下県三百石長まで、門下五吏(賊曹・督盗賊・功曹)が帯剣し三車で従い、主簿・主記が二車で従う。県令以上は導斧車を加える。長安・雒陽令及び王国都県は前後に兵車・亭長車を加える。
- 駅馬は三十里ごとに置かれ、卒はみな赤幘・絳韝を着ける(軍旅の名残と伝える)。公以下二千石は騎吏四人、千石以下三百石の県長は騎吏二人が帯剣・棨戟を持ち先導する。
- 諸侯王の法駕・官属も京都の官騎に准じた鹵簿を備え、列侯の家丞・庶子は会・耕・祠の際に県から車と卒を借りて威儀を整え、事が終われば返還する。
車馬の意匠の身分差
- 乗輿は倚龍・伏虎の意匠、皇太子・諸侯王は倚虎・伏鹿、公・列侯は倚鹿・伏熊、卿は朱の両輪と五斿降龍、二千石以下は各々科品に従う。馬具の意匠(金鍐方釳・翟の羽・象牙の鑣・青両翅燕尾等)も身分に応じ細かく差があり、二千石以上及び使者のみが騑馬(添え馬)を許された。