後漢演義第四十四回 忠臣を救おうとして宦官同士が争い、貴相の予言どおり佳人がついに皇后となる (救忠臣閹黨自相攻 應貴相佳人終作後)
閻太后の死と朝廷の刷新
- 司徒掾周挙の進言で、順帝は離宮に幽居する閻太后のもとへ朝覲に赴くが、閻太后は母族滅亡の悲しみと生母李氏の亡霊の夢に苦しみ病没。安帝と合葬され安思皇后と諡された。
- 司隷校尉に虞詡が任じられ、太傅馮石・太尉劉熹らの怠慢を弾劾して罷免に追い込むなど厳正な姿勢を見せたが、過酷との批判も受けた。
虞詡と張防の対立
- 虞詡は中常侍張防の不正な収賄を糾弾し続けたが訴えは通らず、自ら廷尉に出頭して抗議。張防に讒言され投獄されかけたが、孫程ら宦官の助力で救われ、張防は辺境に流された。
- その後虞詡は尚書僕射に復帰し、左雄を尚書に推薦。左雄は直言の士として重用される。
十九侯の処遇と順帝の生母
- 孫程ら十九侯は驕慢な振る舞いを理由に一時免官・封地への追放を命じられたが、周挙が司徒朱倀を通じて撤回を働きかけ、後に旧封が回復された。
- 順帝は自らの生母李氏の墓所を知り、改葬して恭愍皇后と追尊した。三公の人事も度々入れ替わり、張皓・許敬らが清廉な人物として評価された。
隠士たちと梁皇后の冊立
- 隠士樊英は星占・災異の予知に優れ、順帝に強く召されても節を曲げず、問答で順帝を服させた。楊厚・黄瓊らも招聘され、李固が黄瓊に節義を促す書簡を送るなど清流の士が評価された。
- 西域長史班勇は焉耆討伐で功を挙げるも、味方の敦煌太守張朗の抜け駆けにより後れを取ったとして罷免され、失意のうちに病没。班勇の兄班雄の子班始は、姦通した妻の陰城公主とその情夫を斬ったが、順帝は始のみを処罰し腰斬に処すという理不尽な裁定を下した。
- 順帝は十八歳で皇后冊立を検討し、占いに頼ろうとしたが尚書らの諫言で徳望による選定に改め、梁商の娘梁妠を皇后に立てた。梁商は子の冀を襄邑侯に、乳母宋娥を山陽君に封じたが、尚書令左雄は乳母への爵位授与を強く諫めた。
評語
- 孫程が済陰王を擁立したのは私利のためであり、虞詡を救ったのも自らの名声のためであって、純粋な忠義とは言い難い。十九侯が殿上で功を争う様は小人の本性を示している。
- 梁皇后は竇后に似た貴相を持ちながらも、後に外戚梁冀の専横を招く萌芽をすでに宿していた。梁商が「この娘が一族を興す」と語ったことは、後の梁冀の禍とも表裏一体であった。