五代史演義第四十四回 兄弟釁を構え湖上に戈を操り、将相嫌みを積み席間に武を用う (弟兄構釁湖上操戈 將相積嫌席間用武)

呉越の内訌

  • 呉越王・弘倧は統軍使・胡進思の専横を嫌い、指揮使・何承訓と組んで排除を図るが、逆に進思の反撃を受け、弘倧は義和院に逃げ込んで難を逃れる。進思は偽の王命で弟・弘俶を擁立するが、弘俶は「兄の安全が保証されるなら」と条件付きで即位を受け入れ、兄を厚遇するよう命じる。
  • 進思は再三弘俶に兄の殺害を勧めるが拒まれ、密かに刺客を送るも失敗、まもなく病死する。弘俶は兄を厚遇し続け、呉越は内乱を大過なく収めた。

荊南・湖南の情勢

  • 荊南節度使・高従誨が没し、子の保融が継ぐ。従誨は漢・唐・蜀の間を利のみで渡り歩き「高無頼」と呼ばれたが、晩年は漢に恭順して収まった。
  • 湖南では楚王・馬希広が漢から太尉に進められる一方、兄の馬希萼(朗州節度使)も節鉞を求めて対立が表面化する。庶弟・希崇の讒言もあって兄弟の疑心が深まり、希萼は喪に乗じて入国しようとするが、希広配下に武装解除された上で送り返される。

楚の内戦勃発

  • 希萼は漢廷に希広の即位の不当を訴えるが認められず、独自に兵を集めて挙兵する。南漢は楚の内紛に乗じて賀州などを攻め、楚将が謀略にはまり大敗、希広は敗将を厳しく処断して士気をさらに低下させる。
  • 希萼は水軍で長沙を攻めるが、希広配下の王贇に一度撃退される。希広は「兄を傷つけるな」と情に流された指示を出し、決断力の欠如が露呈する。妻の苑氏は夫の敗戦を嘆き自害する。
  • 希萼はその後、蛮族を誘い漢の地方軍を破り、南唐にも援軍を求めて連携する。希広は漢に救援を求めるが返答なく、配下・劉彦瑫の朗州遠征も失敗して大敗を喫し、益陽も陥落するなど楚の劣勢が続く。

漢の朝廷内の対立

  • 漢主承祐のもとでは楊邠・郭威・史弘肇・王章の四大臣が実権を握り、宰相の蘇逢吉・蘇禹珪は実質的に疎外されて対立が深まる。李濤が将相の均衡を図る提案をしたが誤解を招き、逆に李太后の怒りを買って罷免される。
  • 承祐は成長するにつれ驕慢になり、近臣と戯れて李太后の諫めにも反発するようになる。
  • 遼の侵入を機に郭威が鄴都留守・天雄軍節度使として出鎮し、樞密使を兼任する人事が下るが、史弘肇との対立を深めていた蘇逢吉はこれを内外の権力均衡を崩すものと危惧する。
  • 送別の宴で史弘肇と蘇逢吉が険悪な言葉を交わし、酒宴の座興を巡ってさらに史弘肇が激高する一幕もあり、将相の不和は誰の目にも明らかとなる。背景には弘肇の妻が元は妓女で、酒席での軽口を自分の妻への侮辱と誤解したことがあったと明かされる。仲裁も効なく、両者の溝は深まったまま物語は次回へ続く。

評語

  • 馬希広・希萼の骨肉の争いは、内紛を乗り越えた呉越と対照的であり、兄弟の不和がいかに国を危うくするかを示す好例だとする。禍根はそもそも先代・希範の代からの内紛の種にあるとし、平時にこそ道を誤らぬよう戒めるべきだったと説く。
  • 家における兄弟不和、国における将相不和はともに破滅を招くとし、楚は兄弟の不和で家を破り、漢は将相の不和で国を滅ぼすに至った点で、期せずして符合していると結ぶ。