五代史演義第四十二回 智将郭威、手を抵ちて兵を談じ、勇将劉詞、従容として敵を破る (智郭威抵掌談兵 勇劉詞從容破敵)
三叛連合の企て
- 王景崇が官民に自分への節鉞授与を働きかけたが、漢廷は疑って別の人事を発令、景崇に邠州行きを命じるも従わなかった。
- そこへ河中節度使・李守貞が反乱に加わる。杜重威と親しかった守貞は、漢の新政権を侮り、密かに死士を養い城を固めていた。参軍の趙修己は無謀と諫めたが、僧侶・総倫が「真の主君」と持ち上げるのに気を良くし、弓占いの成功もあって反心を固め、思綰の勧進表と御衣を受けると秦王を僭称、思綰を節度使に冊封した。
漢の三方討伐と郭威の登用
- 漢は郭従義・王峻に趙思綰討伐、白文珂・劉詞に李守貞討伐、尚洪遷・劉詞らを都虞侯として派遣した。尚洪遷は長安で趙思綰に急襲され力戦の末に戦死し、郭従義・王峻は畏縮して進まなかった。
- 白文珂も同州で滞陣し進撃せず、鳳翔の趙暉も進めずにいたため、漢主承祐は郭威を西面軍前招諭安撫使に任じ、河中・永興・鳳翔の全軍を統括させた。
- 郭威は出発前に馮道を訪ね、財物を惜しまず将兵に分け与えれば人心は自然に守貞から離れると助言を得る。華州節度使・扈彥珂の進言で「まず本拠地の李守貞から攻めるべき」との方針を採り、三方から河中を攻める作戦を立てた。郭威は兵と苦楽を共にし、信賞必罰を徹底して士気を高めた。
河中城の包囲戦
- 守貞は当初、漢の禁軍がかつて自分の部下だったことを頼みに油断していたが、漢軍が威風堂々と迫るのを見て動揺する。郭威は力攻めを避け、長期包囲によって兵糧を絶ち、内部崩壊を待つ持久戦を選んだ。
- 諸将は長安・鳳翔からの後詰を懸念したが、郭威はそこは郭従義・趙暉が牽制していると意に介さなかった。包囲網を固め、間諜を捕らえ、守貞が唐・蜀・遼に送った救援要請の密書も次々阻止された。
- 城内は次第に窮乏したが、僧・総倫は「天命はまだ滅びていない」と守貞を惑わし続けた。
王景崇と鳳翔攻防
- 鳳翔の王景崇は守貞と通じて秦王の冊封を受け、侯益の一族を虐殺したが、孫の延廣だけは乳母に救われて大梁へ逃れた。
- 趙暉は鳳翔を攻め、蜀からの援軍を撃退。偽装した蜀兵に見せかけて景崇の兵を誘い出し、伏兵で殲滅する策で大勝した。蜀の援軍も度重なる敗戦や兵糧問題で撤退を繰り返し、鳳翔は孤立を深めた。
南唐の援軍と李金全の智略
- 守貞配下の使者が南唐に救援を求め、南唐は李金全らを派遣したが、金全は漢軍の誘いを見破り、戦わずして退却するなど、冷静な判断で兵を損なわず引き上げた。唐主は漢に和を求め、守貞の赦免を乞うたが漢廷は応じなかった。
河中城の攻防と劉詞の奮戦
- 郭威は南唐の動きを制しつつ趙暉を支援し、白文珂・劉詞に河中包囲の指揮を委ねた。守貞方は夜陰に乗じて酒で漢の哨兵を酔わせ、油断を突いて城西の柵を焼き討ちする奇襲をかけたが、劉詞や裨将・李韜の奮戦で撃退し、翌日には陣を立て直した。
- 郭威は帰陣した劉詞の働きを称え厚く賞したが、軍規を破って飲酒した愛将・李審を容赦なく処刑し、軍紀を引き締めた。
評語
- 三叛(趙思綰・李守貞・王景崇)のうち、罪の重さは実は李守貞が最大であり、晋を裏切って遼に降った罪は杜重威に等しいのに赦されてなお叛いたと指弾する。王景崇は討伐を命じられながら自ら叛いた点でさらに重い罪と評す。趙思綰は単なる暴徒に過ぎず、守貞・景崇の反乱がなければ容易に鎮圧できたはずとし、本回が河中の記述を最も詳しくした理由を説明する。