五代史演義第三十六回 張彦沢、戈を倒にして汴に入り、石重貴、国を挙げて遼に降る (張彥澤倒戈入汴 石重貴舉國降遼)
杜威の降伏
- 遼軍に包囲され糧食も尽きた杜威は、皇甫遇の反対を押し切って降伏を決意。遼主耶律徳光の「お前を帝にしてやる」という甘言を信じ密使を送り、諸将に署名を強要した降表を提出する(皇甫遇のみ署名せず)。
- 軍を整列させ「これより降伏する」と告げると兵は号泣。杜威・李守貞は「主上が佞臣を信じ我らを疑ったせいだ」と晋主に責任を転嫁する。
趙延壽の出迎えと恒州・代州の陥落
- 赭色の袍を着た趙延壽が現れ杜威に同じ袍を授け、杜威は北に向かって拝礼し得意満面となる。遼主は杜威を太傅、李守貞を司徒に任じる。
- 杜威を先導役に遼主は恒州に入城(守将・王周が開城)、続いて代州も刺史・王暉が降伏。易州刺史・郭璘は最後まで抗戦したが遼の通事・耿崇美に斬られ、義武軍・安国軍も相次いで降る。
- 遼行に加担するのを拒んだ皇甫遇は「敗れずして降るのは忍びない」と嘆き、道中で食を断って自ら首をくくって果てた。
張彦沢の汴京突入と晋主の降表
- 遼主は張彦沢を先鋒として大梁へ急行させる。晋主重貴は杜威降伏の報と遼の檄文に驚愕し、劉知遠に援軍を求める詔を出すが間に合わず、彦沢は封邱門を破って明徳門まで迫る。
- 宮中は混乱し重貴は一時自害を図るが臣下に止められ、范質に降表を書かせ、皇太后李氏も別に哀願の表を認め、延煦・延寶の二子に国璽とともに携えさせて遼営に届けさせる。
張彦沢の暴虐
- 彦沢は召しに応じず、逆に桑維翰を呼び出して罵倒され返答に窮すると幽閉し、その夜絞殺した上で自害と偽って遼主に報告する(遼主は悼んで厚く弔う)。
- 彦沢は私怨のある者を次々殺害し(孟承誨、高勲の一族など)、二昼夜にわたり略奪を放置、かつて彰義軍節度使時代にも部下を惨殺した前科がある人物であった。李濤は臆せず彦沢に対面し皮肉を返し、彦沢も手を出せなかった。
- 彦沢は重貴一家を開封府に移して監視下に置き、財宝を取り上げ、重貴の叔母・烏氏公主は密かに面会した後自害。重貴が求めた酒や布も与えられず、更に彦沢は重貴の側室・丁氏を強引に奪い去った。
遼主の入京と論功
- 高行周・符彦卿は遼営に降り、遼主は符彦卿にかつての陽城の戦いを問うたが、忠義を貫いた態度を評価しあえて赦す。
- 延煦・延寶が国璽を献上するが遼主は真偽を疑い、重貴は「先の玉璽は焼失したため新たに作った物」と釈明の書を送りようやく収まる。
- 遼主が渡河して汴京に迫ると、張彦沢の意向で重貴の出迎えは拒まれる。景延広はかつての暴言(「十万の横磨剣あり」発言)を証拠付きで追及され、北へ護送される途中で自ら首をくくって死んだ。
遼主入城と張彦沢の処刑
- 除夜、晋の百官は喪服で遼主を出迎え、その場で常服に改めるよう命じられる。旧知の安叔千は胡語で媚びへつらい遼主に喜ばれるが、恥も外聞もない有様であった。
- 遼主は入城後も宮中を荒らさず城外に駐屯し、百姓には安堵を布告する。高勲らの訴えにより張彦沢と傅住児は処刑され、恨みを持つ百姓が遺体を切り刻んで報復した。
晋の滅亡
- 重貴一家は封禅寺に移され食にも事欠き、太后は嘗て寺に多額の布施をしたことを頼るが、僧は遼を恐れ応じない。ほどなく遼主の詔で重貴は「負義侯」に落とされ、晋は石敬瑭・石重貴の二代十一年で滅亡した。
評語
- 著者は、石敬瑭が唐の明宗の婿でありながら唐を滅ぼし、その娘婿・杜威が同じく晋を滅ぼしたのは因果応報と評す。張彦沢の暴虐は杜威以上だが、罪状を再三弾劾されながら朝廷が処罰せず却って重用し続けたことが裏切りを招いたとし、重貴の叔母への横恋慕や佞臣寵愛、諫言を容れなかった経緯を踏まえ「暴興の父あれば暴亡の子あり」と結ぶ。