五代史演義第三十二回 悍弟、兄を殺し漢祚を僭承し、逆臣、主を弑し閩都大いに乱る (悍弟殺兄僭承漢祚 逆臣弒主大亂閩都)

重貴と馮皇后の放埓

  • 汴京に還った重貴は改元せず、馮皇后と昼夜遊興にふける。宮中の女官を次々に郡夫人に封じ、男性の李彦弼を皇后の押衙とするなど風紀は乱れる。皇后の兄・馮玉は無学ながら椒房の縁で出世し端明殿学士から枢密使にまで昇る。

南漢の内紛

  • 南漢主・劉龑は多くの子のうち五子・弘昌を賢としながら長幼の序を破れず決断できないまま病没。長子・弘度(玢)が即位し光天と改元するが酒色に耽り暴虐に走る。
  • 弟の晋王・弘熙は角抵の力士を宮中に送り込み、宴席で泥酔した弘度を絞殺させて簒奪(応乾と改元、名を晟と改める)。異を唱えた循王・弘弘杲も暗殺され、弘熙は南漢高祖の遺児十四人のうち十三人を次々に殺害する。

南唐(李昪)の情勢と死

  • 唐主・李昪(徐知誥)は晋と疎遠なまま契丹と通じ、安遠節度使・李金全の帰順事件などで晋と小競り合いを起こすが、大きな戦端は開かず、吳越の火災に対しては攻めずに弔慰を送るなど保境安民の姿勢を保つ。
  • 李昪は方士の丹薬を服用して体調を崩し、疽を患って崩御。臨終に長子・璟(斉王)へ「兵器財貨を守り隣国と善く交わり社稷を保て」と遺言し、璟が保大と改元して即位する。璟は弟たちを重んじ、庶母・種氏の讒言を赦して弟・景逷を保寧王に封じるなど友愛を示す。

南唐の内政と閩への出兵

  • 璟は弟・景遂に政務を委ねようとし、馮延己・陳覚らの佞臣が中外の上奏を遮る専横を働くが、賈崇の諫言で撤回される。
  • 閩で朱文進が主君を弑して自立したとの報が入り、璟は激怒するが群臣の勧めで先に殷(王延政)を討つ方針を転換し、査文徽を派遣して建州の様子を探らせる。

閩の内乱と朱文進・連重遇の簒奪

  • 閩主・曦(延羲)は文進・重遇の二人に猜疑を強め、両者は曦の後・李氏が自分たちを除こうとしていると聞き先手を打って弑逆を決行。文進は自ら閩王を僭称し、曦の宗族・后妃・子をことごとく殺し、晋にも藩を称して威武節度使に任じられる。
  • 殷主・延政はこれを討とうと出兵するが苦戦。泉州の留従效が同志と語らい刺史・黄紹頗を討ち取り殷に帰順、漳州・汀州も相次いで殷に降る。

朱文進・連重遇の最期

  • 文進の援軍要請も及ばず、殷の吳成義が唐軍を騙る形で福州に迫る中、部下・林仁翰が「富沙王(延政)が来れば我々も族滅される」と重遇を刺殺。続いて文進も乱軍に引きずり出され殺される。
  • 福州は殷に帰順し、延政は従子・継昌を福州(南都と改称)に鎮守させ、国号を「閩」に戻す。

評語

  • 著者は、天道は必ずしも即座に善悪へ報いぬように見えるが、南漢の弘熙が兄弟を皆殺しにした報いとして父・劉龑の子孫が絶えたこと、閩の簒奪者たちが結局誅殺されたことを挙げ、「公理は自ずから存する」と説く。李昪は簒奪で得た国ながら民を休ませた点で優れ、嗣主・璟も兄弟への篤い愛情ゆえに簒弑の禍を免れたとし、行間にこそ著者の道理が示されているとまとめる。