五代史演義第二十九回 一炬灰と成り遂に孽報あり、三帥の叛命次々に平らげらる (一炬成灰到頭孽報 三帥叛命依次削平)

契丹主との別れ

  • 徳光は敬瑭に南下を任せて自らは北へ帰ることとし、先鋒高謨翰の護衛をつけ、良馬や戦馬を贈り、劉知遠・趙瑩・桑維翰を重用するよう言い残して別れた。

從珂の最期

  • 唐軍諸将は次々と敬瑭に降伏し、萇從簡も河陽で迎降。從珂は絶望のうちに洛陽へ戻り、澠池まで敵に押さえられたことを知って観念する。
  • 曹太后・王太妃に別れを告げ、王太妃と許王從益は球場へ逃れる。從珂は曹太后・皇后劉氏・次子重美・宋審虔らと共に伝国の玺を携え玄武楼に登り、薪に火を放って自焚した。次子重美は宮殿を道連れにする案には反対したという逸話が添えられる。

後晋の成立

  • 敬瑭は洛陽に入り、劉知遠に治安を委ね、契丹軍の略奪を禁じて秩序を回復。文明殿で朝賀を受け大赦を行う。從珂の旧臣張延朗・劉延浩・劉延朗は誅殺、從厚は閔帝として改葬、從益は郇国公に封じられ、從珂は庶人として王礼で葬られた。後唐は荘宗以来四代十三年で滅んだ。
  • 馮道以下旧臣を留任させ、桑維翰・李崧らを重用し、契丹への恭順と内政の立て直しに努めて国内はひとまず安定した。

雲州の抵抗と燕雲十六州の割譲

  • 北帰する契丹主は雲州で節度使を捕らえるが、判官吳巒は籠城して半年抗戦。晋主の要請で契丹軍は囲みを解き、吳巒は寧武軍節度使に任じられた。
  • 燕雲十六州はすべて契丹領となり、以後三百年にわたる中国の外患の元凶となったと語り手は嘆く。

南方・呉での徐知誥の簒奪(挿話)

  • 盧龍節度使盧文進は契丹の追及を恐れ呉へ亡命。呉の徐知誥(実は李昪)は名士を招き民心を得て権勢を強め、吳王楊溥から譲位を受けて即位、国号を大齊とし、後に唐の後裔を称して国号を唐(南唐)に改めた。楊溥父子は幽閉先で失意のうちに没する。
  • 童謡や瑞祥の逸話(東海鯉魚飛上天、連理の李の木、七百人同居の陳氏一族など)が徐知誥(李昪)の簒奪を正当化する話として紹介される。

范延光の反乱

  • 天雄軍節度使范延光は晋への恭順を装いつつ内心では叛意を抱き、術士の予言を信じて野心を募らせる。腹心の孫銳が独断で朝廷を誹謗する上表を出したことから挙兵に踏み切る。

張従賓・符彥饒の呼応と鎮圧

  • 晋主は桑維翰の献策で大梁(汴州)へ遷都し、迅速な対応を図る。
  • 討伐に向かった張従賓は逆に范延光に誘われて叛き、河陽・洛陽で晋の皇子重信・重乂を殺害するなど大きな脅威となる。
  • 滑州では符彥饒の部下が白奉進を殺害する事件が起き、符彥饒も謀反の疑いで捕らえられ自尽を命じられた。
  • 楊光遠・杜重威・侯益らの晋軍が張従賓・馮暉・孫銳らを次々に撃破し、従賓は黄河で溺死。范延光は形勢不利を悟り孫銳を族誅して恭順を願い出た。

評語

  • 五代の将吏は風向き次第で寝返る「風に靡く草」のようなものだと諺を引いて批判。從珂は弑逆と簒奪の報いとして自焚したのは当然の帰結とする。
  • 石敬瑭が從益を擁立しなかった点は批判しつつも、王徳妃を養い從益を公爵に封じた点は評価する。
  • 范延光・符彥饒・張従賓らの相次ぐ叛服は論じるに値しないほど不忠不義であり、晋の統治がわずか一年で相次ぐ反乱を招いたことに、降将の信頼できなさを見て取ると結ぶ。