五代史演義第二十八回 契丹主、晋高祖を冊立し、述律后、趙大王を笑罵す (契丹主冊立晉高祖 述律後笑罵趙大王)

契丹軍と唐軍の攻防

  • 徳光は敬瑭に勝因を語り、両軍は合流して唐軍を追撃。張敬達らは晋安寨に籠城し包囲される。
  • 從珂は自ら親征を決意し洛陽を出発。途中、宰相盧文紀や張延朗の進言で河陽に留まり、近臣を代わりに督戦へ送ることにする。張延朗は権勢を握った趙延壽を追い払う目論見から、その父趙徳鈞と組ませる策を推した。

龍敏の策と諸将の躊躇

  • 吏部侍郎龍敏は、契丹皇族の李贊華を擁立して契丹の背後を突く奇策を献じるが、宰相盧文紀らの反対で採用されずに終わる。
  • 從珂は「石郎」の名を聞くだけで気力を失う様子を見せ、群臣も口をつぐむ。

趙徳鈞の二心

  • 諸道行営都統に任じられた趙徳鈞は、救援よりも自らの鎮州獲得を目論み進軍を渋る。從珂に鎮州節度使への任命を求めるが拒絶され、恨みを募らせる。
  • 徳鈞は契丹に賄賂を送り、自らを皇帝に立ててくれれば洛陽を平定し晋(敬瑭)を存続させると持ちかける。契丹主徳光は一時これに傾く。

桑維翰の説得

  • 危機を察した桑維翰は徳光の前で終日跪いて泣訴し、趙氏父子の不忠と背信を説いて翻意させることに成功。徳光は徳鈞の使者を追い返す。

敬瑭の即位

  • 徳光は敬瑭を励まし、天子に立てることを申し出る。敬瑭は一応辞退の姿勢を見せつつ受諾し、晋陽城南に壇を築いて契丹の冊封を受け、国号を「晋」として即位した(後の晋高祖)。
  • 冊文(契丹皇帝から晋王への長文の詔)が全文近く紹介され、敬瑭を「子」と呼び従珂討伐の大義を述べる内容となっている。
  • 即位に際し符讖(樹の中の文字、毘沙門天王の霊験など)が喧伝され、敬瑭は燕雲十六州の割譲と歳幣三十万匹を契丹に約束した。

晋安寨の陥落

  • 敬瑭は改元して天福とし、劉知遠・桑維翰らを重用。晋安寨は数ヶ月の包囲で食糧が尽き、主将張敬達はなお降伏を拒むが、楊光遠に暗殺されて開城降伏となる。
  • 契丹主は張敬達の忠義を讃え手厚く葬らせる一方、投降した兵馬は敬瑭に委ねられた。

從珂の敗走と趙徳鈞父子の末路

  • 契丹・晋連合軍は南下し唐軍は総崩れとなる。從珂は洛陽への帰還を余儀なくされる。
  • 趙徳鈞・趙延壽父子は契丹に投降するが、述律太后に厳しく詰問される。太后は「わが子を頼んで天子の座を求めるとは何事か」と一喝し、忠義もなく敵にも勝てなかった者に生きる資格はないと叱責。徳鈞は投獄され、後に釈放されるも失意のうちに没した。
  • (詩:異民族の太后でさえ忠義を知るのに、漢人の名族がなぜ生き恥をさらすのかと嘆く内容)

評語

  • かつて勇猛で鳴らした從珂が、石敬瑭の挙兵一つで気力を失ったのは、簒奪によって得た地位への疚しさと、頼るべき将吏が節操なく寝返る五代の風潮のためだと論じる。
  • 石敬瑭が外夷に卑屈に仕え、皇帝となった後も契丹の冊封を甘んじて受けたことを厳しく批判し、述律太后が趙徳鈞を責めた言葉こそ敬瑭に向けられるべきだったと結ぶ。