五代史演義第十八回 皇后の教えを得て郭招討を椎撃し、兵乱に遭い李令公を劫迫す (得後教椎擊郭招討 遘兵亂劫逼李令公)

蜀平定後の論功と亀裂

  • 王宗弼は唐軍に内応し宦官・佞臣を処刑して恭順を示すが、成都占領後は郭崇韜が略奪を厳禁し秩序を保つ。わずか七十日で方鎮十・州六十四を平定する大戦果を挙げる。
  • 論功行賞を巡り、平蜀の第一功労者である李紹琛(康延孝)が、郭崇韜が董璋ばかりを重用することに不満を募らせる。王宗弼は郭崇韜に賄賂を贈り西川鎮守を望むが崇韜は取り合わず、代わりに孟知祥を推挙する。
  • 崇韜の子廷誨が蜀の降将から賄賂を集めて私腹を肥やす一方、魏王継岌の得るものは乏しく、宦官李従襲の讒言もあって継岌と崇韜の間に疑念が生じる。崇韜は王宗弼に濡れ衣を着せて処刑し、王宗勲・王宗渥一族も誅殺する。

郭崇韜の非業の死

  • 洛陽では宦官向延嗣・李従襲が「郭崇韜父子が蜀で専横し謀反の兆しあり」と唐主・劉后に讒言。劉后は独断で継岌に崇韜殺害の教令を下す。
  • 継岌は当初躊躇うが、従襲らに脅されてついに崇韜を都統府で撲殺させ、その子廷誨・廷信も誅殺する。推官李崧の機転で軍中の動揺は抑えられる。

波及する粛清

  • 唐主は崇韜の罪状を捏造して公表し、崇韜と縁戚の睦王李存乂も誅殺。護国軍節度使李継麟(朱友謙)も讒言により殺され、蜀に従軍していたその子令徳も処刑される。
  • 李紹琛(康延孝)はこれらの粛清に憤り、朱友謙配下だった部将らと共に反乱を起こし西川節度使を自称するが、新任の孟知祥・任圜らに撃破され捕らえられ、処刑される。

蜀主一族の抑留

  • 継岌は康延孝の乱を警戒し王衍の家族の護送を急ぐが、鄴都の反乱により長安で足止めされる。

鄴都の兵乱

  • 魏博の指揮使楊仁晸配下の皇甫暉が、恩賞の遅れと猜疑への不満から兵を煽動して仁晸を殺害し、効節指揮使趙在禮を擁立して鄴都を占拠する。留守の王正言・監軍史彦瓊は無策のまま逃走・降伏する。
  • 唐主は李紹栄を討伐に向かわせるが、監軍史彦瓊の暴言で反乱軍が態度を硬化させ攻城は失敗。裨将楊重覇も戦死する。
  • 各地でも兵変が相次ぐ(従馬直軍の反乱、邢州趙太の乱、滄州王景戡の乱)。唐主は李嗣源を鄴都討伐に起用するが、嗣源自身もかねて唐主から疑われており、心中複雑なまま出陣する。

李嗣源、反乱軍に擁立される

  • 鄴都攻囲中、従馬直軍士張破敗が夜半に反乱を起こし、嗣源の陣営に乱入して「主上を河南、令公(嗣源)を河北の主に」と迫る。嗣源は説得を試みるが聞き入れられず、やむなく鄴都に連れ込まれる。
  • 城内では皇甫暉が張破敗を討ち反乱を鎮めるが、趙在禮に迎えられた嗣源は表向き協力を装いつつ城を脱出し、味方をかき集める。中門使安重誨らの進言で、嗣源は朝廷に弁明すべく南下を図る。
  • 李紹栄は嗣源を賊軍と讒訴。窮地に陥った嗣源のもとに、ある人物が一計を献じようとするところで本回は終わる。

評語

郭崇韜には死を招く落ち度こそあれ、誅殺されるほどの罪はなかったと指摘する。劉后が独断で教令を下し、継岌がそれに従って忠臣を撲殺したことを、母子の溺愛と偏聴が招いた大乱の始まりとして厳しく批判する。貝州・従馬直・邢州・滄州と相次ぐ反乱、そして鄴都の混乱が収まらぬまま李嗣源までもが叛乱に巻き込まれていく様を、乱の根源を考えるべき教訓として結ぶ。