五代史演義第十五回 王彦章、師を喪い軍律を失い、梁末帝、首を落とし宗を覆す (王彥章喪師失律 梁末帝隕首覆宗)
鄆州の急襲
- 唐主李存勗は鄆州の梁将盧順密の内応を受け、進撃の是非を諸臣に諮る。郭崇韜らは慎重論だが、李嗣源が「連年の出兵で民が疲弊している、自分が奇襲の任に当たる」と申し出て採用される。
- 高行周を先鋒に夜雨に乗じて渡河し、李従珂が真っ先に城壁を登って攻め込み、鄆州とその牙城を陥落させる。唐主は嗣源を天平節度使に任じ、大いに喜ぶ。
王彥章の起用と徳勝城攻防
- 梁主友貞は鄆州失陥に動揺し、北面招討使戴思遠を罷免。宰相敬翔は自ら首に縄をかけて諫死をほのめかし、王彥章の登用を進言。梁主は彥章を招討使、段凝を副とする。彥章は破敵の期限を「三日」と豪語し、周囲の失笑を買う。
- 彥章は密かに楊村で船を仕立て、河中の鉄鎖を焼き切って浮橋を断ち、徳勝南城を急襲・陥落させる。守将朱守殷は救援に失敗。彥章はさらに潘張・麻家口・景店の諸砦を落とし勢いに乗る。
楊劉の攻防と博州築城
- 唐主は楊劉城の防備を強化させるが、彥章・段凝は十万の兵で猛攻。李周が辛くも守り抜く。
- 唐主自ら楊劉に赴き、郭崇韜の献策で博州東岸に築城し河津を扼して彥章の東進を牽制する作戦を採る。崇韜は敢死の兵を募って彥章を城の前で足止めしつつ突貫工事で築城を完了させる。
- 彥章は数万の兵と巨艦で新城を攻めるが、崇韜と唐主の援軍に阻まれ、退却する。李嗣源は密かに朱守殷の失態を訴えるが、唐主は旧臣ゆえ処罰せず。
王彥章の失脚
- 彥章はかねて趙巖・張漢杰ら佞臣を「成功の暁には誅殺する」と公言しており、これが趙・張の恨みを買う。段凝も彥章と不仲で、戦果は趙・張が段凝の手柄にし、敗報は彥章の責にする。梁主は彥章の成功を恐れて汴梁に召還し、軍事は段凝に一任される。
澤州の陥落・康延孝の投降
- 澤州の裴約が孤立無援のまま戦死。唐主は悲嘆する。
- 段凝が黄河を決壊させて唐軍を阻もうとするが、唐主は一笑に付す。梁の指揮使康延孝が唐に投降し、梁の内情(趙巖・張漢杰の専横、段凝の無能、兵力分散の弱点)を明かし、大梁への直撃策を献じる。唐主はこれを信任し延孝を招討指揮使とする。
中都の戦いと王彥章の最期
- 梁は再び彥章を鄆州攻撃に起用するが、寡兵かつ新兵ばかりで統率が取れない。郭崇韜は「今こそ大梁を衝くべき」と進言し、唐主は決意を固める。
- 李嗣源の先鋒が王彥章の前衛を破り、中都に迫る。唐主自ら軍を率いて中都を陥落させ、彥章は突囲するも重傷を負い、李紹奇に捕らえられる。
- 唐主は彥章の武勇を惜しみ降伏を勧めるが、彥章は「二朝に仕える恥は忍びない」と拒み、処刑される。唐主は彥章を忠義の士として仮埋葬させる。
梁の滅亡
- 唐主は連行していた彥章に段凝軍の見通しを尋ねられ、「軍心を乱す」として彥章を処刑(先の記述と重複するがここで最終処刑の場面)。曹州が無血開城。
- 大梁では梁主が敬翔に泣訴するが敬翔も策なく、援軍の段凝軍も足止めされ間に合わない。梁主は疑心から兄弟・皇族を次々に自害させ、伝国の宝も紛失。趙巖も逃亡。
- 追い詰められた梁主友貞は、控鶴都指揮使皇甫麟に自らの首を刎ねさせようとするが麟は拒み、結局梁主が麟の刀を奪って自刎、麟も後を追って自殺する。梁は朱温の簒奪から十六年で滅亡した。
- (詩:梁室一族が互いに殺し合い、自ら墓穴を掘った末路を嘆く趣旨)
- 翌日、李嗣源が大梁に到着し、王瓚が開城して降伏する。
評語
王彥章は勇に過ぎて智に欠け、徳勝南城での勝利も一時の僥倖に過ぎなかったと評す。朱守殷の油断に乗じただけで、郭崇韜の築城策の前には手も足も出せなかった。段凝はさらに論外で、決河策も自らを阻む結果となり、彥章のような死節すら示せなかった。梁主友貞は人を用いる目を誤り、敵が迫る前に内部から瓦解した。滅亡の因は趙巖・張漢杰を寵愛し敬翔・李振らを疎んじたことに尽きず、骨肉を害してまで保身を図った酷薄さにあると結ぶ。