五代史演義第十三回 嗣蜀主、淫昏にして徳を失い、唐の監軍、称尊を諫止す (嗣蜀主淫昏失德 唐監軍諫阻稱尊)
蜀主王建の後継選び
- 蜀主王建は太子元膺を殺した後、寵愛する大徐妃・小徐妃の働きかけで、器量に劣る幼子宗衍を太子に立てる。大徐妃は涙で王建を懐柔し、宰相張格も賄賂で加担した。
太子宗衍の放蕩
- 宗衍は文才はあるが淫詞や蹴鞠に耽り、王建はその器量のなさを嘆くが、徐妃の権勢に阻まれ廃立できなかった。有能な庶子宗杰は毒殺されたとされる。
王建の遺命と宦官の専横
- 王建は死に際し、宗弼らに太子が不適なら別子を立てるよう遺言したが、内飛龍使唐文扆がこれを徐妃に密告し、宮門を封鎖して大臣を排除しようとした。王宗弼らの機転で文扆は失脚・流刑となる。
蜀主衍の即位と乱政
- 王建没後、宗衍(王衍)が即位。生母徐妃を皇太后とし、宦官宋光嗣らを重用。王宗弼は齊王として権勢を振るい、王衍は酒色に耽溺。宮女の強制徴発、太后太妃の売官、寵妃韋氏・金氏をめぐる後宮の乱れなどが続いた。
晋王への即位勧進と唐室への恩義
- 晋の勢力伸長に伴い、傳国璽の献上や群臣の勧進が相次ぐが、晋王存勗は亡父李克用の遺訓(唐室再興の志を守れ)を理由に一旦は帝位を辞退した。
梁・晋の抗争と劉鄩・賀瓌の死
- 徳勝の攻防が続く中、河中の朱友謙が晋に降り、梁が派した劉鄩は同州で敗れ、梁主の疑心から鴆殺された。賀瓌も病没し、梁の名将が相次いで世を去った。
張承業の諫止
- 晋の勧進の動きが強まる中、唐室に忠節を尽くす監軍張承業が魏州に赴き、晋王に対しまず梁を滅ぼし唐室を復興してから即位すべきと涙ながらに諫めたが容れられず、失意のうちに病を得て晋陽で世を去った。
成德軍の変
- 折しも趙の成徳軍で養子王徳明(張文禮)が主君王鎔を弑逆し一族を滅ぼす事件が起こり、晋への遠征の火種となる。
評語
蜀主王建は幼子擁立の非を知りながら女色に迷って国を誤り、子の衍は父以上に淫乱で国を滅ぼす萌芽を見せた。国家の患いは女色と宦官にありとされるが、宦官の中でも張承業のように唐室に忠実であった者もいた。その諫言が容れられず憂憤のうちに没したことは、後の晋の行く末を暗示している。