五代史演義著者自序(五代史演義自序)

五代の乱世を嘆く

  • 著者は、五代の世ほど中国が乱れた時代はないと嘆く。天が閉ざされ賢者は隠れ、王たる者が現れず、乱臣賊子が天下に満ちた。
  • 狡猾な者が権謀で人を欺き、いったん志を得れば好き放題に振る舞い、君臣・父子の道が崩れ、危急となれば骨肉さえ仇敵に変わる。
  • 帝位は棋を打つように移り変わり、国家は宿場のように交代し、民の血が野に塗られても私闘はやまなかった、と世の変転の激しさを問う。

五代の実情と先行史書

  • 五代はわずか五十三年の間に汴洛で十三人の君主が立ち、八度姓が変わった。同時期に南北東西で割拠した勢力(十国、および梁唐期の岐・燕)を数えれば、その乱れの規模は際立つ。
  • 契丹(遼)は異民族として北辺に拠ったが、礼義廉恥を欠く点では五代の方がむしろ劣らぬとも言えると皮肉る。
  • 薛居正の『五代史』(旧史)は事実は備わるが筆法に乏しく、欧陽脩の『新五代史』は簡潔に削って褒貶の義を明確にした点で優れると評価する。その他の五代関連史書(『五代会要』『五代史補』『五代春秋』等)は逸聞の集成にとどまり、評価の鋭さでは欧陽脩に及ばないとする。

著述の意図

  • 著者はすでに『前漢演義』や唐宋の『通俗演義』を刊行しており、五代史は唐の後を承け宋に先立つ位置にあるため、続けて演義することにしたと述べる。事実は諸書から集め、評価の姿勢は欧陽脩に倣うとする。
  • 五代の禍根は唐末の藩鎮にあり、それが除かれぬまま拡大して五代の混乱を招いたとし、当時(民国期)の軍閥割拠・戦乱の様相も五代と酷似すると指摘する。綱紀の乱れ、内治の乱れ、外侮の激化も重なると憂える。
  • 過去を鑑として今を知れば、混乱する中国も禍を転じて福となしうるかもしれないと願いを込め、序を結ぶ。末尾に「中華民国十二年(1923年)夏、古越の蔡東帆、臨江書舎にて自ら記す」とある。