魏書卷一百 列傳第八十八 契丹

契丹

  • 契丹国は厙莫奚の東にあり、異種同類として共に松漠の間に潜んでいた。登国年間、魏軍がこれを大破し逃げ散ったため厙莫奚と別れて数十年を経て次第に部落が増え、和龍の北数百里に住み冦盗を多く働いた。真君以来朝献を求め歳ごとに名馬を貢いだ。顕祖の時、莫弗の紇何辰が朝献した際、諸国の末席で饗を受けたが帰って国家の美を語ると人々は心から慕うようになり、東北の群狄はこれを聞いてみな服従を思うようになった。悉萬丹部・何大何部・伏弗郁部・羽陵部・日連部・匹絜部・黎部・吐六于部らはそれぞれ名馬・文皮を天府に献じ、常に和龍・宻雲の間での交易を求め貢献は絶えなかった。
  • 太和三年、髙句麗が密かに柔然と謀って地豆干を奪おうとしたため、契丹はその侵犯を恐れ、莫弗の賀勿干が部落・車三千乗・衆一万余口を率いて内附を求め、白狼水の東に住した。以後歳ごとに朝貢したが、飢饉を告げると髙祖はこれを憐れみ関に入っての市糴を許した。世宗・粛宗の時代も常に使者を送って方物を貢いだ。熈平年間、契丹の使者の祖真ら三十人が帰る際、霊太后はその俗の嫁娶に青氈を上服とすることを知り、人ごとに青氈両匹を賜った。以後は旧式に従い、朝貢は北斉の受禅に至るまで常に絶えなかった。