魏書卷一百 列傳第八十八 烏洛侯

烏洛侯

  • 烏洛侯国は地豆干の北、代都から四千五百余里にある。地は低湿で霧が多く寒い。民は冬は地を穿って室とし、夏は原阜に随って畜牧する。猪が多く穀麦もある。大君長はなく、部落の莫弗が代々世襲する。俗は縄髪、皮服を身にまとい珠で飾る。民は勇を尊び姦竊を行わないため財を野積みしても盗まれることがない。狩猟を好み、箜篌に似た楽器があり木槽に九弦を張ったものを用いる。
  • 国の西北には完水があり東北に流れて難水に合流し、その地の小水はみな難水に注いで東に海へ入る。さらに西北二十日行くと于已尼大水(いわゆる北海)がある。世祖の真君四年に朝貢に来た際、その国の西北に先帝(拓跋氏)の旧墟の石室があり、南北九十歩・東西四十歩・高さ七十尺、室には神霊があり民が多く祈願すると述べた。世祖は中書侍郎の李敞を送って祭を告げさせ、祝文をその室の壁に刻んで帰った。

史論

  • 史臣曰く、夷狄が中国に対するのは羈縻の関係にすぎない。しかし髙句麗は歳ごとに貢職を修め、東藩の中でも際立った存在であり、榮誉と哀悼の礼は天朝から与えられ、これも厚遇と言えよう。その他の国々はおしなべて欵貢を知るのみであり、牛馬が自ら人に懐き東風が音律に応じるようなものと言えようか。