魏書卷七十二 列傳第六十 朱元旭
清算の吏
- 字君昇、樂陵の人。祖・朱霸は真君末(450年頃)南朝に投じ樂陵に居住。元旭は清河王国常侍・太学博士・員外散騎侍郎を経て度支郎中となり、神龜末(520年頃)郎官選考の粛清に際し辛雄・祖瑩・羊深・源子恭らと共に留任された。
- 尚書右丞として、関西都督蕭寶夤の軍糧報告の食い違いを弁明して事なきを得た。通直散騎常侍・平東将軍・尚書左丞・司農少卿・衛将軍を歴任、天平中(534〜537年)尚書左丞に復任。義州刺史として関西からの帰順民を管轄、武定三年(545年)夏、享年六十七で卒去。贈本将軍・幽州刺史。子・朱敬道は武定中司徒長流参軍。
史論
陽尼一族の学問の系譜は世に絶えることなく、陽固は気骨と情文を兼ね備えた。賈思伯の家は経学の旧業を継ぎ、兄弟ともに儒素で知られた。李叔虎・路恃慶は器量・才器に見るべきものがあり、李象らも風采・詞藻において当代の俊民であった。房亮・曹世表・潘永基・朱元旭はいずれも抜群の才を以て仕官し、名器を享受した。それぞれに拠るところがあったのである。