魏書卷七十一 列傳第五十九 江悅之

漢中帰順の功臣

  • 字彦和、済陽考城の人。七世祖・江統は晋の散騎常侍。少くして孤児となり、劉駿・蕭道成に仕え将略に優れ部曲を有した。蕭衍の代、劉季連の蜀反乱を討滅した功で冠軍将軍に進み、武興氐討伐でも功を挙げた。
  • 夏侯道遷と共に梁州の内附を謀り、蕭衍の使者や楊霊珍を殺害。尹天寳の反撃で南鄭が包囲された際、家財を投じて士卒を励まし戦い抜いた。正始二年(505年)夏、道遷と共に洛陽に至り卒去、享年六十一。贈輔国将軍・梁州刺史・安平県開国子(食邑三百戸)、諡は荘。二子は江文遙・江文遠。

江悅之の子孫と同志(附伝)

  • 江文遙は財を軽んじ士を好み、楊霊珍討伐で自ら剣を執って斬った。歩兵校尉・平原太守等を歴任、六年間の治績は「雍州諸郡の最」と称された。安州刺史として杜洛周・葛榮の乱の中、孤城を守り抜いたが建義元年(528年)七月、享年五十五で卒去。子・江果が州事を代行、後に高麗に東奔、太平中(535〜540年頃)帰朝。江果の弟・江昴は武定三年(545年)爵を襲ぐも齊の受禅で降格。
  • 江文遠は騎射に優れ、給事中から中散大夫・龍驤将軍に至った。
  • 龎樹(南安の人、賊将天寳との戦いで戦死)・李忻榮(漢中の人、同じく戦死)・張元亮(漢中の人、東萊太守等を歴任)・士孫天與(扶風の人、武功太守)らも道遷の功に与り、それぞれ子に開国男の封が贈られた。
  • 襄陽の羅道珍(斉州東平原相)・北海の王安世(苻堅丞相王猛の玄孫、北華州刺史)・潁川の辛諶(魏の衛尉辛毗の後裔、梁州刺史贈官)・漢中の姜永(漢中太守)らも功臣に列した。潁川の庾導は道遷と共に帰順した奇士で、幽州左将軍府主簿等を歴任し天平中(534〜537年)青州で卒去。
  • 皇甫徽(字子玄、安定朝那の人)は道遷の兄の娘婿で、功の筆頭に推されることを固辞した人物として知られる。