魏書卷七十一 列傳第五十九 李元護

夀春平定の功

  • 遼東襄平の人。八世祖・李允は晋の司徒。李允の子孫は代々名宦を出したが、三斉の豪門には軽んじられていた。元護は魏の斉平定後に父・李懐慶と共に南奔、身長八尺・容貌に優れ、蕭道成に仕え馬頭太守・後軍将軍・龍驤将軍を歴任。
  • 高祖の鍾離出兵の際に見出され、裴叔業の司馬・汝隂太守として叔業の帰順に協力、寿春平定に功があった。景明初(500年頃)輔国将軍・斉州刺史・廣饒県開国伯(食邑千戸)に任ぜられ、栁世明の反乱を鎮圧したが処断が過酷との評があった。
  • 部曲による城邑への侵擾が多く「良刺史」とは称されなかった。景明三年(502年)享年五十一で卒去。死の前後に凶事の予兆が伝わった。贈平東将軍・青州刺史。子・李会は爵を継ぐも降格、延昌中(512〜515年)妻の不倫相手に殺害された。子・李景宣は天平中(534〜537年)給事中を襲爵したが齊の受禅で降格。
  • 元護の弟・李静は歸誠の功で前将軍となったが貪欲な人物で、兄の死後に妓妾の物品を奪った。子・李鉉は羽林監。元護の従叔・李恤は東代郡太守で卒去、子は李曠之。