魏書卷五十二 列傳第四十 胡方回

胡方回

胡方回、安定臨涇の人。父の義周は姚泓の黄門侍郎。方回は赫連屈丐の中書侍郎となり史籍に渉猟し辞彩は見るべきものがあり、屈丐のために統万城銘・蛇祠碑等の諸文を作り世に広く行われた。世祖が赫連昌を破ると方回は入国、雅才がありながらまだ世に知られていなかったが、後に北鎮司馬となり鎮のために表を修めて称慶するところがあり、世祖はこれを読んで美を嗟嘆し誰の作かと問い、方回と知ると召して中書博士とし臨涇子に叙爵、侍郎に遷り太子少傅游雅らと律制を改定した。司徒崔浩及び当時の朝賢はみな方回を愛重し、方回は清貧を守り道を守って寿を終えた。子の始昌も長者で父の風があり南部主書を歴任。子の醜孫は中書学生・祕書郎・中散、世々産業を治めず家は甚だ貧約で兄弟ともに早世した。