魏書卷四十五 列傳第三十三 柳崇

柳崇

  • 柳崇、字は僧生。河東解の人。七世祖の軌は晉の廷尉卿。崇は方雅で器量あり身長八尺、美しい鬚と明るい目、学行を兼ね秀才に挙げられ射策高第で解褐して太尉主薄・尚書右外兵郎中となった。当時、河東・河北の二郡が境を争いその間に鹽池の饒み・虞坂の便があり守宰・民ともに外に割かれることを恐れ公私が朋競して臺府に紛囂したため、高祖は崇を遣わして民官の訟を検断させ、荆郢が新附し南寇が窺擾する頃には崇に持節を授け州郡とともに経略しあわせて慰喩を加えさせた。還って太子洗馬・本郡邑中正に遷り中壘將軍・散騎侍郎に転じ司空司馬に遷り衞尉少卿を兼ね、また邑中正を領し出でて河北太守となった。崇が初めて郡に届いた頃、郡民張明が馬を失い十余人を疑ったが、崇はこれを見て賊事を問わず人ごとに別に温顔を借りその親老の存否・農桑の多少を微かに問い、その辞色を察してすぐに真賊呂穆ら二人を獲、残りはみな放遣し郡中は畏服し境内は帖然となった。官で卒し年五十六、輔國將軍・岐州刺史を贈られ諡を穆とした。崇の製した文章は寇乱で遺失した。

崇の長子・慶和

  • 慶和、性格は沉靜で時と競わず起家して奉朝請となり稍く輕車將軍・給事中・本郡邑中正に遷り卒した。

慶和の子・德逸

  • 德逸、武定末に齊王丞相府主簿となった。

慶和の弟・楷

  • 楷、字は孝則。身長八尺、善く草書をなし頗る文史に渉り解褐して員外散騎侍郎となり蕭(闕)の西征に車騎主薄として引かれなお行臺郎中となり、召還されて員外郎領殿中侍御史となり太尉記室參軍に転じ寜逺將軍・通直散騎侍郎・本郡邑中正に遷った。普泰初年、集書省官を簡定した際、征虜將軍・司徒從事中書郎を除せられ儀同開府長史に転じ、天平中、肆州驃騎府長史となり頗る声誉あり、また中軍將軍を加え興和中に撫軍司馬となり病に遇い卒した。

崇の従父弟・元章

  • 元章、姿貌魁偉で太尉中兵參軍・司空録事・司徒從事中郎を歴任し相州平東府長史に遷った。刺史元熙が兵を起こし元乂を除こうとした際、元章は魏郡太守李孝怡らとともに熙を執え猗氏伯を賜爵し正平太守を除せられたが、後に靈太后が政を反すと官爵を削除され家で卒した。

崇の族弟・敬起

  • 敬起、字は華之。起家して中書博士となり城陽王文學に転じ寧逺將軍・尚書儀曹郎中・龍驤將軍・平陽太守を除せられ卒した。五子あった。

敬起の長子・永

  • 永、字は神護。性格は麤率で解褐して奉朝請となり員外散騎侍郎に転じ太尉記室參軍・諫議大夫を除せられ、また征虜將軍・太中大夫に転じ本郡邑中正となり母の老いにより解官帰養し家で卒した。征西將軍・秦州刺史を贈られた。

永の弟・暢

  • 暢、字は叔智。奉朝請より三遷して伏波將軍・岐州征虜府長史となり征虜將軍・魯陽太守に遷り、還って左將軍・太中大夫を除せられ安東將軍・光祿大夫に転じ卒し衞大將軍・雍州刺史を贈られ諡を穆とした。

暢の弟・範

  • 範、字は洪禮。前將軍・給事中・本州大中正で卒した。

範の弟・粹

  • 粹、字は季義。叔の仲起の後を出でて継ぎ武定末に平東後軍・遼西太守に遷った。

敬起の弟・仲起

  • 仲起、字は紹隆。秀才に挙げられ咸陽王禧が牧となると西曹書佐に辟された。子がなく兄の子の粹がこれを継いだ。

崇の族子・儁起

  • 儁起、少くして志尚あり解褐して奉朝請となり太尉黙曹參軍・伏波將軍・司徒倉曹參軍を経て卒した。

儁起の長子・達摩

  • 達摩、武定末に陽城太守となった。

儁起の従父弟・援

  • 援、字は乾護。身長八尺、儀望甚だ偉く解褐して太尉鎧曹參軍となり護軍司馬に転じ稍く冠軍將軍・司空長史に遷り廷尉少卿に転じ出でて安西將軍・南秦州刺史を除せられまもなく散騎常侍・鎮軍將軍に転じ征西將軍・金紫光祿大夫に遷り車騎將軍・右光祿大夫に遷って卒し本將軍・秦州刺史を贈られた。

援の長子・粲

  • 粲、武定末に青州驃騎府中兵參軍となった。

援の従父弟・仲景

  • 仲景、汝南王悦の常侍となった。

史論

  • 韋・杜の旧族は門風・名声ともに殞ちることがなかった。裴・辛・柳氏は素業に資あり器行が世を仍いだ、それゆえに列位に布かれてその美を替えなかったのである。