魏書卷三十七 列傳第二十五 司馬天助
司馬天助
司馬天助は自ら司馬徳宗の驃騎将軍司馬元顕の子と称し、劉裕の自立を機に帰順、平東将軍・青徐二州刺史・東海公に任ぜられた。義士を招いて劉裕の東平・済北二郡や城戍を襲おうとし、裕の将閭万齢の軍を破るなど多くの戦果を挙げ、侍中・都督青徐兖三州諸軍事・征東将軍・青兖二州刺史・公の地位を得た。真君3年(442年)、司馬文思らと南討に従い、さらに北征に従軍中、陣中で没した。子の司馬元伯(字帰都)が爵を襲いだが、のち温県子に降格され、太和年間、建威将軍・泰山太守となった。
史論
史臣曰く、諸々の司馬氏はいずれも国の乱亡に際して帰命した者たちであるが、その中で楚之の風概・器量・才略が最も称すべきであり、その他は取り立てて論ずるに足らない。しかし前代(晋)の遺緒をもって皆それぞれ地位・待遇を得たことは、まことに幸いというべきである。