魏書卷三十四 列傳第二十二 車路頭

寛恕の裁定で称された側近

  • 車路頭は代の人。若くして忠厚をもって選ばれ東宮に給事し太宗の帳下帥となった。よく自ら身を修め立て謹慎で過ちがなかった。天賜末、太宗が外に出居した際、路頭は随侍して力を尽くした。太宗即位後は散騎常侍を拝し金郷公の爵を賜り忠意将軍を加えられ、のち宣城公に改封された。
  • 太宗は性質が明察で群臣の多くを職事の落ち度により杖罰することがあった、ゆえに路頭は事に任じられることなく優游としており、常に左右に侍宿しては談笑するばかりであった。路頭は性質が害することを好まず、獄を評議し裁定する際は常に寛恕の議を提出したため、これにより朝廷に重んじられた。太宗もこれを敬い納れ、寵待は隆厚で賞賜は数え切れず、当時の功臣や親幸の臣も及ぶ者がなかった。泰常六年(421年)に卒し太宗は自ら哀慟に臨んだ。侍中・左衛大将軍・太師・宣城王を贈られ忠貞と諡された。喪礼は安成王叔孫俊の故事に依り金陵に陪葬された。子の眷は爵を襲いだ。