辺境統治に長じた地方官
- 尉撥は代の人。父の那は濮陽太守。撥は太学生として兗州刺史・羅忸に募じて賊を陳汝で撃ち功があり介休男の爵を賜った。和竜討伐に従い虎賁帥に遷り千人軍将に転じた。また楽平王丕に従い和竜を討ち涼州軍将を除せられ、吐谷渾を撃ってその民千余落を獲た。のち吐谷渾の小将が三百余落を率いて来降したがまもなく再び叛したので、撥は騎兵を率いてこれを追い尽く獲て還り、功により子に進んだ。
- 晋昌鎮将に遷り辺民を綏懐して大いに称績があった。入って知臣監となり杏城鎮将として出て、任にあること九年、大いに民和を収め、山民千余家・上郡の徒(流刑の民)・各盧水胡八百余落がすべて帰附して民となった。高宗は撥の清平で恵績があることをもって衣服を賜った。顕祖即位後、北征都将となり再び都将として南の懸瓠を攻め劉彧の将・朱湛之の水軍三千人を破り懸瓠鎮将を拝し員外散騎常侍を加えられ安城侯に進爵した。顕祖はその声効を嘉して再び衣服を賜り平南将軍・北豫州刺史に転じた。のち洛州の民・田智度が聚党して謀逆すると詔により撥は伝に乗って豫州の兵を発し洛州刺史の邱頓とともにこれを撃ち智度を獲て京師に送った。撥は卒し冠軍将軍を贈られ敬侯と諡された。