魏書卷三十 列傳第十八 劉尼

高宗擁立の功臣

  • 劉尼は代の人。本姓は独孤氏。曾祖の敦は太祖に功があり方面の大人となった。父の婁は冠軍将軍で卒し并州刺史を贈られた。尼は若くして壮健で膂力があり勇果で弓を善くした。世祖はこれを見て善しとし羽林中郎を拝し昌国子の爵を賜り振威将軍を加えた。
  • 宗愛が南安王余を東廟で殺した際にこれを秘したが、尼だけが状を知っていた。尼が愛に高宗を立てるよう勧めたところ、愛は自らが景穆帝(恭宗)に罪を犯していたことから驚いて「そなたは大馬鹿者だ、皇孫を立てれば正平時の事を忘れるはずがないではないか」と述べた。尼が「もしそうなら今誰を立てようとするのか」と問うと、愛は「還宮を待って諸王子の賢者を選んで立てるつもりだ」と答えた。尼はその変心を懼れ、密かにその状を殿中尚書・源賀に告げた。賀は当時尼とともに兵を典り宿衛していたが、南部尚書の陸麗とともに謀り「宗愛はすでに南安を立てながらこれを殺した、今、皇孫を奉戴して民望に順わなければ社稷は危うくなる、どうするべきか」と語った。麗は「密かに皇孫を奉ずるほかない」と答え、賀は尚書の長孫渇侯とともに厳兵して守衛し、尼と麗は苑中で高宗を迎え、麗は高宗を馬上に抱いて京城に入った。尼は馳せ戻って東廟で大声に「宗愛が南安王を殺した、大逆無道である、皇孫はすでに大位に登った、宿衛の士はみな宮に還るがよい」と叫ぶと衆はみな万歳を唱えた。賀と渇侯は宗愛・賈周らを捕らえて兵を率いて入り、高宗を宮門の外で奉じ、入って永安殿に登った。
  • 尼は内行長とされ建昌侯に進爵し、散騎常侍・安南将軍に遷り、また東安公に進爵、尋いで尚書右僕射に遷り侍中を加えられ王に封じられ、征南将軍・定州刺史として出た。州にあって清慎であったが酒に酔うことが多く政務の日は少なかった。殿中尚書に徴され侍中・特進を加えられ、高宗の末年司徒に遷った。顕祖即位後、尼が先朝に大功があったことからいっそう尊重され、別戸三十を賜った。皇興四年(470年)車駕の北征で帝が自ら衆に誓う際、尼は昏酔で兵陣が整わなかったが、顕祖はその功が重いことから特に恕し免官するにとどめた。延興四年(474年)薨じた。子の杜生は爵を襲ぎ世宗の時寧朔将軍・歩兵校尉となり熙平の初め卒し竜驤将軍・朔州刺史を贈られ克と諡された。