魏書卷二十八 列傳第十六 李栗
厳格な軍規の始まり
- 李栗は雁門の人。昭成帝の時、父祖が国に入った。若くして弁捷で才能があり将略も兼ね備えた。初め太祖が賀蘭部に幸したときから栗は常に従い、元従二十一人の中にあった。太祖はその才能を愛し、王業草創の折に爪牙・心腹として重用されたのはみな親近の者が多かったが、栗ひとりが縁戚でも旧知でもないのに一介として遠く任され、当時の人に栄誉とされた。
- しばしば戦功を挙げ左軍将軍を拝した。太祖の慕容宝征伐では、栗が五万騎を督して前駆となり、軍の至るところ降らぬ者はなかった。左将軍に遷った。慕容宝が中山を棄て東走した際、栗は軽騎で追ったが及ばず引き返した。
- 栗は性質が簡慢で寵を恃み礼度に従わず、常に太祖の御前で放漫に振る舞い自ら慎むことなく、咳や唾も気ままであった。太祖はその積もった過ちを見て天興三年(400年)についに誅した。これにより威厳が初めて厳しくなり群下を制するようになり、卑謙の礼が守られるようになったのは栗の一件に始まる。