魏書卷二十二 列傳第十 汝南王悅

出自と経歴

汝南王悅は仏典・史書を好んだが性行は常軌を逸していた。妃閭氏(東海公の女)との間に一子を儲けたが不仲であった。左道の崔延夏と交わり仙薬(松术の類)を服用し、酒肉・粟稲を断ち、房事も絶って男色に耽り、妃妾への暴力(捶撻)が絶えなかった。靈太后が調査の上、諸親王・三蕃の正妃が病臥百日以上の場合は必ず奏聞するよう令したが悅は改めず、清河王懌が元乂に殺害された際、悅は讐恨を示さず桑落酒で乂に取り入り、太尉に任じられた。懌の子亶を杖罰するなど酷薄で、また巨大な剉碓(切断器)を州門に置いて盗人の手を斬ると脅すなど異常な統治で恐れられた。爾朱榮の挙兵に際し河陰の惨劇の噂を聞いて南の蕭衍のもとへ奔り、蕭衍から魏主に立てられ改元したが(帝の実権は伴わなかった)、齊獻武王(髙歡)が爾朱榮を討った際に髙祖の子として大業を継がせようとする動きもあったが、悅は狂状が改まらず沙汰止みとなり、出帝初め大司馬に任じられ間もなく卒した。